覚せい剤取締法違反事件と刑事施設の過剰拘禁

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1 はじめに

最近、「犯罪が増えている」と危機感が煽られているが、これは認知件数の上昇が原因にすぎない。認知件数とは届出の数ではなく、警察官が事件として受理し書類をつくった件数であることに留意する必要がある。認知件数が増加した背景に、桶川ストーカー事件の教訓を受けて警察が被害届を受理するようになったという事情があることは看過できない。被害者への配慮が認知件数を押し上げているともいえるが、一方でこうした統計が予算獲得の材料として作成されている側面も見逃せない。 認知件数が増加しても警察官の人数が従来のままだと検挙率は低下し、過犯罪化(overcriminalization)の状況となる。検挙率の低下を警察官1万人増員で防ごうという計画があるが、警察官が増えると、認知されていなかった犯罪(暗数)をいっそう掘り起こすことになるので、犯罪認知件数も増える。これまでより多くの犯罪者が検挙され、刑務所に収容されると、前科をもった人が増えて再犯の確率及び検挙の可能性が高くなるので、さらに犯罪と犯罪者が増えるということになる。
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    • 2 刑事施設の過剰収容

      その一方で、矯正処遇を担う少年院教官や刑務所刑務官は公務員削減の流れの中で数が減っており過重労働の状態である。また、矯正局のトップは重い罰を好みがちな検事であり、仮出獄には消極的であり、刑事施設には人が溢れかえることになる。名古屋刑務所での刑務官暴行事件はこうした過剰収容における刑務官のストレスが原因といわれ、刑務所の増設の必要が指摘されるが、これは御用学者による予算獲得のためのコメントに過ぎない。実際には、刑務所を増設すれば再入者も増加し、そうした人達は社会では仕事がないので、出所すれば犯罪をせざるをえず、結局、再犯でまた重い刑を受けるという悪循環に陥り過剰拘禁は解消されることがない。刑務所に入りやすい人を再生産する愚作であるといえる。 加えて、薬物事犯に関しては処理が定型化されている。1990年代以降は、シンナーは処罰せず、覚せい剤は処罰するという方針になっている。毒劇法のお目こぼしが警察で行われることになり、この時期のシンナー事件は最盛期の10%程度の認知件数になっている。覚せい剤はアッパー系なので暴力等の犯罪につながる可能性があるという仮説の故なのだが、幻覚・妄想の質が問題でありアッパー系・ダウナー系が問題なわけではない。しかしこうした対応ゆえにシンナーは介入が遅れ再使用で潜在化して依存が進行し、覚せい剤は厳しく処罰しても出所すればまた使うという悪循環で結局どちらも適切な処遇がなされていない。 1980年代にアメリカ合衆国のレーガンが薬物問題にターゲットをあてて厳しい政策をとった結果それまで80万人の刑務所人口が200万人に跳ねあがった。そのため犯罪が多いが一部分しか捕まっていないという過犯罪化という現象が発生、認知されていない部分に手が及び検挙件数が増えることになった。ちなみに刑務所に人を入れるためには、警察官、検察官、裁判官も増やさなければならず、こうした人の増員に余分な金を投じなければならないことになった。ちなみにアメリカでは人口2.8億人、刑務所人口は200万人、日本では人口1.2億人、刑務所人口は6万人である。 刑事施設の過剰収容については、いくつかのデータがそれを実証している。例えば1995年を100とした指数では、全事件裁判確定人員(有期懲役)は129、新受刑者・1日平均収容人員は126、出所人員は113である。略式命令が減っている(1995年比95)のだがこの理由は、重い犯罪が増えたのではなく、重い犯罪だけを捕まえるようになったのである。刑事施設の収容に関しては、1991年は70.8%であったがその後年々上昇し、2000年は95.4%になった。こうして刑務所には人が溢れることになったが一方で入った人は出にくくなっている。無期刑が確定して服役している人は約1100人いるが彼等の仮出獄は確実に難しくなっている。以前は20年未満で仮出獄になっていたがここ2年間はほぼゼロであり、22、23年受刑しないと無理になっている。むかしは年間50~60件の仮出獄があったが現在は6件程度である。これは、仮出獄の申請を刑務所長が行う際に検察官に求意見を行うが、検察官が必要なしと判断すれば申請し辛いという事情が背景にある。

      3 治安重視の大きな刑事司法か? 個人本位の小さな刑事司法か?

      では、どういう刑事政策をとるべきか。これには2つの選択肢がある。大きな施設と専門スタッフの増強をめざす「大きな司法」と、地域社会での立ち直りを目指し福祉を充実させる「小さな司法」である(別表8)。法律家を増やすことが正義の実現ではない。数ではなく質の問題である。国のやるべきことは最低限にするべきであるし、国に頼ることで多くの失敗をするというはレーガン政権時の体験から我々はわかっているはずである。薬物依存に関しても犯罪として取扱うのではなく回復を支援する施設をつくっていくことが肝要といえる。 覚せい剤事犯への対応の歴史的な流れとしては、1970年代には執行猶予が4割、実刑率も高いが1年未満の懲役が多かった。その後1980年代には1年未満の懲役は減少し、1~3年の懲役刑が増え重罰化の方向にかわった。1990年代になり、余り重くし過ぎてもいかんということで、1回目の所持事犯で軽いものには執行猶予がつけられた。しかし覚せい剤は依存性があるのでまたやってしまう。そうなると次は懲役となり先の執行猶予取消し分もふくめて長い間受刑することになるので、結局、社会復帰が遅れ再犯しやすい状態になる悪循環になっている。 調査によると、司法の流れにのらず病院に入って医療の流れにのった人の方が早くダルクにたどり着いており、その意味では刑務所より病院に入る方が回復は早いのではないかといえる。しかし病院も3月以上いても効果はない。ちなみにダルクではスリップはやめていくための大事なプロセスである、と考えられている。 刑務所等にお金をかけるよりもダルクなど回復支援のためにお金をつかっていくべきである。薬物依存症は病気であり、病気ということで医療・福祉を充実させていくことが必要で、そうすれば無駄なお金をつかう必要がなくなる。過剰拘禁で効果的な処遇が提供できない現状で依存症者を刑務所に入れても、出所すればかなりの確率で再使用する。依存症者に必要なのは、治療であって処罰ではない。保健所、警察、検察、裁判、矯正、更生保護のあらゆる局面で、取締りと処罰に代替する効果的な治療プログラムが提供できれば、刑務所の人口は現在の20%程度は削減できることになる。そうなれば余裕のできた刑事司法の資源を重大事件の捜査や被収容者の処遇に充当することができる。 覚せい剤の所持・使用を刑事手続の早い段階でダイバートすれば、刑事司法全体の負担が軽減される。数千円の覚せい剤の所持のためにフルの公判手続きを使用することがいかにコスト高であるかはいうまでもないだろう。

      4 むすびに代えて

      少年法の改正、覚せい剤の重罰化、被害者への贖罪の強調、「検挙率の低下」キャンペーン、触法精神障害対策などによって、日本の刑事政策は、厳罰主義に向かおうとしている。 犯罪認知件数の増加と検挙率の低下を治安の悪化と結びつけるレトリックで警察官を増員すれば、認知犯罪が増え、過剰拘禁をもたらす。劣悪な収容環境は、新たな犯罪を産み出し、新たな治安要求が巻き起こる。このような「過剰拘禁のスパイラル」から脱却するためには、犯罪者というラベルをできるだけ回避し、刑事司法システムの負担をコントロールしながら、犯罪をおかした人への社会的援助を拡充していくことが必要である。 (講演の要約はフリーダムニュース編集部)

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