ホラ判事法廷訪問記

アラメダ郡というのは、地理的にも住民の幅も非常に広い地域です。

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違法薬物の流通が盛んなことで有名なオークランドを初め、60年代から続く反戦運動とヒッピーのメッカ、バークレーなどがあり、インドやアジアからの移民も多く、大きなチャイナタウンもあります。昨年来日した判事、ペギー・ホラさんは、そのアラメダ郡のドラックコートの法廷で活躍されています。10月末の講演会に参加なさった方は、これを読みながら、彼女のパワフルなエネルギーと明るい人柄を思い浮かべていらっしゃるかもしれませんね。昨年12月、ホラさんがお昼ご飯に誘ってくださり、食事のあと、午後のドラックコートの法廷を見学させていただくことになりました。今回はそのときの様子をご報告しようと思います。

アラメダ郡の行政関係の施設は、ヘイワードという場所にあります。(写真)私が住んでいるバークレーからはフリーウェイを使って車で約30分。地図を見ながらやっとたどり着き、車を止めてビルの正面玄関にまわると、入り口に、飛行機に乗るときのような安全確認の装置があり、持ち物は全て預けて機械を通してチェック、人間もあの「枠」のような装置をくぐらなければなりませんでした。「銃社会」の一端を垣間見た気持ちがしました。
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    • エレベーターで階を上がり、ホラさんから待ち合わせに指定されていた部屋番号を探すと、その部屋はなんとホラさん専用の法廷でした。(写真)日本の裁判所の様子はよく知りませんが、ここでは、判事それぞれにおのおの法廷が設けられ、広い裁判用の部屋と(写真)、その部屋に入る前に手続きを済ませるための事務用の部屋、裁判用の部屋の奥に判事用のオフィス(写真)、という具合に、各判事ごとに法廷とオフィスのセットが用意されているようです。同じ階にあと数箇所、同じような法廷がありました。ビル全体でいくつくらいあるのか、数え損なったのが悔やまれます。 二重になった扉を開けると、その奥に、ステージのように数段高くなった机を前にして、黒い判事用の服を来たホラさんが星条旗を横にして座っていました。私を見つけると「ナホコ!!」と大声で叫んでくれました。 「日本への旅は一生ものだった。本当に素晴らしかったわ。ああ、今でもまだ旅の興奮が抜けなくて、しょっちゅう日本のことばかり話していて笑われたりするのよ。」 ホラさんは本当に興奮冷めやらぬ様子で、二人きりになるなりいきなり日本のことを話し始めました。小粋なツードアのBMWに乗せてもらって連れて行ってもらったのはメキシコ料理屋さん。その車の中でも、レストランでも、話題は全て日本での出来事に集中していました。一つ一つ写真を見せてくれながら目を輝かせて旅の様子を語る彼女は、まるで子供のようでした。日本でお世話になったという方々についても、一人一人感動と感謝を込めて丁寧に話して聞かせてくれました。 日本の旅についての話を聞くのはとても楽しく、そんなふうにして時間はあっという間に過ぎました。食事から戻って車を降りると、ホラさんは思い出したように、「そうそう、今日の午後の法廷だけど、もしかしたら『卒業』があるかもしれない。楽しみにしていてね。」とにっこり笑いました。 今度はホラさんと一緒だったので職員用の入り口から、あの「安全確認装置」をくぐらずに建物に入り、エレベーターに乗り込むと、中に乗っていた人々がみなホラさんに挨拶しました。クライアントだったのかもしれませんが、みんなの話す様子を見ていると、ホラさんはどうやら大変な人気のようです。 ホラさんは裁判用の部屋の奥の自分のオフィスで午後の法廷についてアシスタントと打ち合わせがあったので、私は廊下に出て待っていることにしました。毎回エレベーターがこの階に着くたびに、ホラさんの法廷のドアの前に並ぶ人の数が増えます。合計100人くらいはいたかもしれません。そのほとんどは、午後のホラさんの法廷に「出廷」しに来たクライアントだったと思います。付き添いの家族なども一緒にいたかもしません。年齢も人種も性別も様々な人たちが、お互いを知っている様子で和気あいあいとおしゃべりしながら、法廷前の廊下をにぎわせていました。 時間が来てドアがあきました。二重のドアにはどちらにも警官が立ち、一人一人警官のチェックを受けてから中に入ります。法廷の中には、リカバリー支援センターなどのスタッフ(主にソーシャルワーカー)が数人、警官が数人と、ホラさんのアシスタントなど法廷側のスタッフがいて、みんな暖かい雰囲気で入ってくるクライアントを迎えていました。クライアントは部屋にはいると、好きな場所を勝手に探して自由に椅子に座ります。なんとなく大学の授業を受けるような雰囲気でした。みんながそろったところで、ホラさんが声をあげました。 「お帰りなさい、みなさん。どうしていましたか。元気で過ごしていましたか。」 みんな笑顔で答えます。「それじゃ、始めましょう。」と言って、ホラさんが手元に詰まれた二つもあるファイルの山から、一番上のファイルを一つとり上げ、そのファイルの主であるクライアントの名前を呼ぶと、手前に(教室の生徒側のような場所の椅子)座っていた一人が立ち上がって、書類を手に持って前に出ます。ホラさんはファイルを開けて報告書をみながら「Aさんは、すばらしい一週間だったようですね。よくがんばりましたね。」といいました。Aさんは「はい」と言って、この一週間のことを簡単に話しました。ホラさんはその報告を優しい笑顔で聞いていました。クライアントが話し終わるとホラさんは「それじゃ、いいクリスマスをね。大切に過ごしてね。」と言ってファイルを閉じました。 「法廷」を無事終えたAさんは一礼して、アシスタントと警官が座る机に向かいました。その机にはコンピュータが設置されていて、アシスタントと警官がそこに座って何か書き込んでいました。Aさんは、自分の持っていた書類をアシスタントに渡し、ソーシャルワーカーとともにアシスタントと警官に向かって何かを話し、新しい書類をもらって帰りました。 司法・警察・福祉のチームワークとは聞いていましたが、まさに文字通り、その三者が一体となってクライアントの回復を支援している様子を目の当たりにして、私は感心を通り越して感動してしまいました。概念としてのチームワークはもちろん、こうやって物理的にもチームとして働いていることには、ほんとうに大きな意味があると思います。 そのような法廷がおよそ100人近くのクライアントに同じように続きました。一人一人のクライアントとのホラさんの対応もみごとでした。再使用せずにすごした人には、ホラさんは最大限に喜びを伝えます。その笑顔は本当に素敵で、これがホラさん人気の秘密かと思わせる、暖かくてなんとなく心に響く笑顔でした。再使用してしまったクライアントも何人かいました。ホラさんはそういう時はクライアントをたしなめるのですが、彼女の怒り方は全然高圧的ではなく、からっとしていて、むしろ笑顔を誘うような口調なので、それを見ている私たち(他のクライアントとスタッフたち)も、多分本人も、嫌な気分になるようなことはありませんでした。クライアントはたいてい頭をかいたり下を向いたりしながらホラさんのお叱りを神妙にうけ、そのあとソーシャルワーカーと話し込んでいました。 ホラさんが「予言」していたとおり、この午後の法廷の中で一人「卒業生」が居ました。30代前半くらいの女性のクライアントで、その日は自分の10歳前後の娘と自分の母親と一緒に来ていました。ホラさんに「みんなに向かって一言話して」と言われ、彼女は照れくさそうにみんなに向かって話し始めました。 「ドラックコートが、初めて私を救ってくれたと思います。母は、私がましな人間になったって喜んでくれているし、娘は私のことを前よりも好きだといってくれています。毎日しっかり生きているっていう実感を、とっても久しぶりに感じているの。このドラックコートのみんな、ホラ判事、心から感謝しています。これからも大変なのはわかっているけど、ここまで来れたことが自信になると思う。以前の私は、自分がこんなふうに生きられるなんて信じられなかった。ドラックコートがあなたを助けるっていうのは本当よ。あなたにもわかるでしょ?まだそうは思えない人も、信頼して大丈夫。あなたにもそう感じられる日が、きっと来るから。」 拍手喝采を受ける彼女の顔は、まぶしいほど輝いていました。

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