薬物依存症回復支援 — 薬物依存症は回復できる病です

大麻について私が知っている二、三の事柄


大麻について

fp25

昨年8月の大相撲ロシア人力士若ノ鵬の大麻所持による逮捕に端を発した一連の「大麻騒動」。大学生の大麻所持、大麻栽培摘発に手が伸び、逮捕の模様もテレビで放映されるなど、犯した罪の程度にはそぐわぬ加熱した報道振り。どことなく魔女狩りを髣髴とさせる糾弾一本やりの論調には、(何もそこまでのことなのかな)とか(WHOだって大して依存性なんかないって表明してるやない)(大麻が覚せい剤や他のハードドラッグへのゲートウェイドラッグになるのでは?なんていってるけどそんな話あんまりきいたことないけどなぁ)(大麻だけの依存症でダルクに来る人はあまりいないけどな)(大麻解禁派ではないけど、覚せい剤やシンナー他のハードドラッグと同じレベルで危険だと言ってるのはちょっと誇張されすぎとちがうかな)云々・・・・(心の中で思ったり、人と話したりするが、こういう自然に思ってしまうことを言ったり、書いたりすること自体、批判の対象にされるのかもしれないなあ)(恐いなあ。大麻についてコメントするのよそうかなあ)

「反対のあることが嘘のしるしでもなければ、反対のないことが真理のしるしでもない」
(パスカル『パンセ』より)

昨今の大麻のようにマスコミが一斉にその弊害について集中して情報を流すときには、乱用が制御されるのではなく、むしろ反対に乱用が拡がっていく契機となるという状況論がある。戦後、大量の覚せい剤を抱え込んだまま敗戦を迎えた製薬会社が在庫の一掃を計るために大々的に(ヒロポン)を売り出す一方で、・・・「無論マスコミはヒロポン使用によって中毒をおこす、或いは精神病になるといった害についての情報をも数多く流したのだが、これが何ら制動作用とならずに、かえって流行を助長させることになったことは記憶しておいてよい。このことはヘロイン等の麻薬を別にすればほとんどあらゆる薬物中毒についてあてはまる現象である。・・・」~『精神医学状況考(一)第1章 依存と表現』墨岡孝著/ぱあぷるふいるむ創刊号~1973
また、墨岡は同論文の中で大麻について、次のように述べている。「・・・日本人は古事記の時代から大麻についての幻覚作用に気づいていたことは確かであって、それが神社信仰等に於いて、麻を神聖なものとする論拠ともなり、古事記等に於ける『麻狂い』という表現のあらわれであったと考えられる。にもかかわらず、日本に於いて大麻が流行したという報告は長い歴史のどこにも存在しないのだ。インド等に於いて大流行したマリワナ(大麻)が中国と日本では流行しなかったという事実。そして逆に仏教で五戒の一つであった禁酒が日本に於いては実に寛大となり、アルコールに対しては不思議なほど積極的な民族となっていった本質的な理由についてはわかっていない。また、第一次、第二次大戦を通じて日本は中国、東南アジアといった当時の麻薬全盛国に派兵をしている訳だが、日本兵の中に、現在のベトナムに於ける米兵のマリワナ中毒のような状態は発生しなかったばかりか、麻薬そのものを持ちかえるという例もほとんどなかったのである」

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    • このように、元来大麻吸引が流行するような風土ではない日本において、いつごろから大麻は流行する兆しを見せ始めたのだろうか?1960年代の終わりから1970年代の初めにかけて、米国におけるカウンターカルチャーの一翼を担う形で台頭してきたドラッグカルチャーの波が、音楽などの輸入物の文化の波と波長をそろえながら、日本の若い世代にも、伝播してきたのである。大麻はまず文化として上陸したのだ。
      あれから一世代を経て、大麻の文化的側面は、大麻吸引者やその予備軍にある共通した意識を育ててきたのだろう。大麻取締法という法律がある限り、大麻を所持して吸うことは法律を破ること(吸引自体は法律に抵触しないとしても、持たずに吸うことはできない)
      だというのは誰でも知っている。覚せい剤など他の非合法薬物を使う人たちは、法律を破っているのは『私』であり、『法律』が間違っていると考える人はあまりいないだろう。だが、こと大麻に関しては、まちがっているのは大麻取締法を犯している『私』のほうではなく、『法律』のほうだという意識が共通してあるのではないだろうか?そこまで厳しく取り締まるべきドラッグではないだろうという共通認識が、どれだけ深く、広く若い人たちの中に浸透しているかは、一連の大学生の逮捕劇の広範性をみれば明らかだろう。
      手元に私の部屋の本棚の奥に眠っていた一冊の古雑誌がある。「宝島 1975年10月号 特集:マリワナについて陽気に考えよう(植草甚一編集)」
      この中に掲載されたQ&Aの体裁をとった一文のなかに次のようなやりとりがある。

      「法律では禁じられていますが」
      「法律が人間を縛るのか、人間が法律を縛るのか、どちらだ?・・・・」

      この問いは発せられて34年の月日がたった今も、大麻についての意見や態度を両極に分断し、その中間から出てくる声の口をふさいでしまう(わたしは今、そのふさがれた口の隙間から言葉を発しようとしている)

      ☆ ☆ ☆

      ライフ・ヒストリーより。1970年代初頭。21歳。私。東京。すでに薬物依存。
      夜な夜な、シンナーの入ったビニール袋の中に、自堕落でみだらな青春を揮発させていた私だったが、マリファナ(大麻)への憧憬は意外な形でかなえられることとなる。シンナーと鎮痛剤オプタリドンへの依存+リストカットでかなりひどい状態にあった私を心配して、友人たちは手を変え品を変えて、私のシンナーをやめさせようと尽力してくれていたようだった。が、一向にやめる気配のない私に業を煮やしたのか、「シンナーは体に悪すぎるから、こちらにしなさい」と言って渡されたのが、けっこうな量の大麻である。
      大麻を吸うと聴覚や味覚が鋭敏になる。また、ちょっと横に90度寝返りをうっただけでその揺れがどこまでも続いて気分が悪くなったこともある。大麻は感覚増幅剤である。また、五感だけではなく、思考や妄想も増幅する。他のドラッグとの併用では他のドラッグの作用を増幅したり変換したりする。
      ろくにシンナーや鎮痛剤が切れていない状態で吸引した大麻は、とんでもない妄想と幻覚を私に惹き起こした。バッド・トリップである。ヘリコプターが3機無線交信をしながら部屋の上を旋回しながら私を監視しているわ、心配してついていてくれた友人二人が私を殺す相談をしてるわ、窓を開けると小さなおまわりさんが三輪車に乗っているわ、少しでも動いたらお前を殺すという神の声が聞こえてくるわ、5メートル先にあるトイレにいくのに30分もかかるわ、大麻の道を究めるにはいくつものイニシエーションがあるのにこいつは何も知らんと私のことを見下す友人たちのテレパシー交信が聞こえてくるわ、眠っている友人たちにそれぞれコップ一杯ずつの水を差し出せばおまえは許されると言う暗示にかかり夜明けにせっせと水を運ぶわ、体の右半分は真っ赤に左半分は青色に染まったまま、ギザギザのオレンジ色の電光オーラが幾重にも私の体の回りを包みそのオレンジ色の「隔絶波」に囲まれているときだけ私は安全であると思い込むわ、シンナーの空き瓶にお米を三分の一だけ入れその上に死んだトンボを寝かせて「エロイムよ!ミカエルよ!・・」と澁澤龍彦の『黒魔術の手帖』に書かれてある悪魔を喚びだす呪文を唱えだすわ、しまいにパニック状態で駆け出していった商店街の電気屋に展示してあるTVのブラウン管には総て私の顔がドアップで映し出されているという体たらく、全くもって狂気の沙汰も麻次第なのであった。ほどなく、精神科へ入院となる。
      ある時代に、ある地域で、ある薬物が、どのように法律的に規制され、社会がどのようにその薬物を見、その薬物を使っている人を断罪しているかによって、その薬物が精神にもたらす作用が、大きな影響を受けることはまちがいないだろう。
      このような相関関係から、昨今の大麻騒ぎによって、二次的なバッドトリップが引き起こされないか少々気にかかるところである。

      ☆ ☆ ☆

      最近のFreedomでの家族来所相談のデータをみると、約100件近い相談のうち、大麻についての相談は一昨年が11パーセント、昨年が19パーセントとなっている。ただこのうちの半数以上は覚せい剤や他の薬物との併用者であり、大麻単独の相談件数はグッと低くなっている。
      それにしても、大麻所持や栽培で逮捕され、実名報道をされ、大学を退学処分となった学生たちのその後のサポートはどうなっているのだろう。断罪するだけしてあとは知らんというのでは、犯した罪の重さと下された罰のバランス感覚に、落差がありすぎはしまいか?彼らが、二度と大麻に手を出さなくても人生がエンジョイできるよう手を差し伸べることが,私たちにはできる。クリーンで飛ぶ術を、私たちなら伝授できる。(了)

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