薬物依存症回復支援 — 薬物依存症は回復できる病です

ガメラの物語


今から十六年前、中学校のときにシンナーを友達のまねをして吸いました。

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とっても美味しかったです。それから先輩たちにシンナーを売ってもらい、体育館や池のほとりで吸うようになりました。それが薬物との出会いでした。タバコとシンナーを使いながら中学生活を送りました。
中学を出て暴走族に入りました。暴走族チームは薬物厳禁でした。でも隠れてたまに使うこともありました。毎日、単車で夜から朝方まで走ることが楽しくて仕方ありませんでした。最初は怖かったケンカにも次第に馴れていきました。彼女も出来て楽しい日々でした。とても充実していました。一年で暴走族を引退し、またシンナーを使う生活が始まりました。シンナーはいろいろ役に立ちます。気を大きくしてくれたり、気持ちよくしてくれたり、女の子をナンパするときにも使えます。僕の生活の中でとても重要なアイテムでした。

朝、起きると「今日は誰とシンナーを使おうか」と考えることから一日が始まります。自分の彼女が仕事に行っている間に、他の女の子とシンナーを吸うことがしばしばでした。彼女にそれがばれるたびに謝りました。「もう二度としないから、別れないで」と謝り続けていましたが、そんなことが三年も続き、僕は捨てられました。

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    • その後、誕生日の前日に「僕にはもう何も残っていない」と思い、シンナーを吸いながらマンションの五階から飛び降りました。とっても痛かったです。救急車の中で気がつきました。電線に一度バウンドして落ちたから助かった、と知らされビックリしました。それから僕は高いところがとても恐くなりました。
      シンナーはその後も懲りずに使い続けました。あるときケンカをして市民病院に入院、その退院祝いに友達が「浜崎あゆみ」のコンサートチケットをとってくれました。とても楽しみにしていたのに、コンサートの五日前にシンナーを吸って暴れて警察に連れて行かれました。次の日には病院に入院になりました。「浜崎あゆみのコンサートがあるから帰らせてほしい」と何度頼んでも医者は「ダメ」としか言いませんでした。仕方なく妹に電話して「彼と行っておいで」とチケットをあげました。その後、シンナーを吸うたびに幻覚と妄想が出ましたが、その中では「浜崎あゆみ」が自分の彼女になっていました(笑)。
      その後、N病院に入院しているときに、ダルクのメッセージに来てもらいました。本当は薬物をやめたい、という気持ちよりも病院を出て自由になりたいと思って、入寮生活をすることに決めました。入寮してビックリしました、門限があること、電話がダメなこと、一日二千円の生活費・・・。でも仲間について行くことだけを必死にやり続けました。
      一ヶ月目に仲間と自分の前の彼女らと焼肉屋へ行き、生ビールを十杯飲みました。おいしかったです。でもその日は寒い中を施設に帰れず外で寝ました。
      沖縄にもプログラムをさせてもらいに行きました。二度目に行ったとき、仲間を殴ってしまい、鼻を粉砕骨折させてしまいました。そのとき、いろんな仲間やスタッフに助けてもらいました。そのおかげで今はスリークォーターハウス(社会復帰の準備のための入寮施設)につながっています。来年の二月で一年目になります。仕事は何度も失敗して、今は鮮魚店でアルバイトしています。これからも今日一日と感謝を忘れず一日の生活を繰り返していけたらいいなぁと思います。今はシラフで生きようと思えることに感謝しています。

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