私はあなたの病気です

fp8

クスリも少し脱けて頭も少しクリアーになってきた頃、出始めたばかりのセルフ・ヘルプ・グループで聞いた仲間話は、まるでわたしの頭の中でわたし自身が話しているかにようにこだましていた。魂をゆさぶる心を溶かしていく。仲間の後ろについていけばきっと回復する。そんな類感呪術めいた体験を積み重ねるうちに、わたしはわたしの記憶の壁に書かれた体験を読みあげることをやめ、楽器を爪弾くように、今この瞬間を生きている自分が過去を自由に奏でるようになっていた。いつの間にか、わたしはあなたの病気であることをやめ、病気の私と病気のあなたが2本の木のように、回復の森の林間に並んで立ち、今も大空に向かって伸び続けている。 10月のおわりに、一緒にやめ続けることをしてもらっている仲間の人たちに囲まれながらケーキを食べながらのミーティングに出席することができた。 そいいえば20歳を迎えた年に精神病院に医療保護で入院してから長い長い時間が過ぎたなぁ。あのころのことを思い出すのは仲間の人に自分の経験を伝えるとき以外あまり思い出すことも少なくなったなぁ。

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    • そんなことを考えながら、仲間の顔を見渡すと、20歳のころ、自助グループに通いだした私と一緒にミーティングに参加してくれた仲間の姿は私をのぞいて、たった一人だった。今日、自分が仲間の前にこうして座っているのは、、、、思いをめぐらす中で、あーぁ、、、ずっーと長い間、自分の力でやめてきた、なかまのお陰なんていいながらいつも私ががんばったんだという思い、そんな風に思う自分を隠すことで一生懸命だった自分、そんな気持ちにいつも罪悪感を持っていたこと、あーぁ、、、もう認めよう、今時分がこうしてここにすわれてることは、、、、、私以外の大きな力が働いているんだということ。 11月、毎年恒例の感謝祭が開かれ、私の母が出席した。母を見ながら、あーぁ、、、、、、親が変われば自分も変わると思っていた私、親が変わらないから自分は不幸なんだと考えていた私、私がこんな風になったのは親のあの言葉、あの態度のせいと思い続けていた私、、、、、、そんな自分にいつも罪悪感を持ち続けていた。母が私を育てる為に一生懸命だった年と同じ年齢ぐらいになったころ、自分が母のように振る舞っていることに気づいたとき、私はこのまま本当に生き続けることができるんだろうかと自分のことを考えるようになった。何かが変われば、、、、そう思って生きてきた自分に疑問を感じるようになりだしたあのころ。。。。 感謝祭に来ている母を見て、あんなに変わってほしいと思い続けていた人に対し、私の記憶にない私の歴史を、過去を、教えてくれる唯一の女性に変わっていた。私の足になぜ、やけどのあとがあるのか、私の小さなときの癖はなんだったのか。そんなことを教えてくれる唯一の人に。今日、母と一緒にこうして一緒の場所にいるということは、 私の力や、、、、、私が変わり続けたり、、、、私が何かをしたのではなく、、、、私以外の大きな力が働いたんだなと。人はゆとりを持つのに、、、、長い時間をかけて、、、、何かと一緒に、、、、もっていくんだなと。 自分の経験を通して、、、、母を見てそう思った。

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