薬物依存症回復支援 — 薬物依存症は回復できる病です

まりさんへのインタビュー


――今回は、家族の方へのインタビューです。

fp10

まりと申します。このインタビューを読んでくださるみなさんに私が今、一番伝えたいことは、自助グループに行くようになって、楽になった、嘘みたいに楽になったということです。
それまでは、シンナーに依存している息子の言いなりでした。二人で電車に乗ることがあったとき、私は息子の隣に座るのが嫌で嫌で、離れて座ろうとしました。すると、息子が「自分が死んだらええと思うんやろ」と私に文句を言ってきます。人目もあるからやむをえず、隣に座りますが、嫌で嫌でしょうがない。でも嫌だと言うことができない。そんなことばかりでした。
それが今はすっかり、楽になりました。きっかけは息子が病院に入院して、退院してきたことです。退院してきてから、息子はあまり騒がなくなりました。自傷行為もしなくなりました。それまでは包丁で自分を切りつけたり、タバコで手を焼いたり、階段の上からわざと落ちたり。それが退院してからはしなくなりました。自傷行為をしていた頃は、私もびくついていました。私自身におびえる気持ちがなくなったこともあると思います。それで本人もあんまり騒がなくなった。お互いにやりあわなくなった。
最近になってから、「なんで今まで自傷行為をしてたの」ときいたことがあります。すると息子は「親にかまってほしかった」と言いました。昔はとてもそんなことをきけなかったですね。依存症者が家族を責める。家族も依存症者を責める。どちらの心にもゆとりがなかった。

――どうして、こんなに大きくかわったのでしょう?

息子が言うことには、病院で知り合った女の人が息子にハグしてくれたんだそうです。その人から「自傷行為はやめて」と言われたそうです。その人が変死しました。息子はそのとき入院中だったのですが、電話で「お経をあげてくれ」と私に頼んできました。引き受けたもののお経なんかあげず、息子にはお経をちゃんとあげている嘘をついてごまかしていました。でも、それから後も、息子から「ちゃんとお経をあげてくれているか。その子が夢に出てきてとても苦しそうだ」と電話がありました。そうすると気になるものですから、お経をあげました。すると息子からの電話で「お地蔵さんがその子の手をひっぱって行くのを夢で見た。ありがとう」と言われました。そういうこともあるのかもしれないな、と思いました。
息子は一度入院したのですが、2ヵ月半して作業療法をはじめる段階になり、閉鎖病棟から外に出たとたん、その足で病院の玄関に向かい、タクシーに乗って家に帰ってきたのです。それで、その日のうちにシンナーをつかって、苦しくなって再入院することになりました。
病院からは、再入院は長引くと言われたのですが、結局すぐに退院することになりました。「退院することになった」と本人から電話できかされたとき、私は抵抗しました。私はお医者さんから何もきいていなかったからです。電話で息子と喧嘩になりました。病院に問い合わせて事情をきくと、別の病院で息子の主治医をしてくれているO先生がわざわざ入院している病院を訪問し、退院を頼んでくれたことがわかりました。また、もし何かあったらまた入院を引き受けるとも言われたので私は安心しました。それで、息子に電話で「退院できてよかったね」と言うことができました。心からそう思って言うことができました。それが伝わったのだと思います。

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    • ――心の奥の気持ちが伝わることもあるのでしょうね。

      それまでは口では言わなくても、「帰ってこなくていいのに」という思いがありました。それが息子に伝わっていたと思います。いなければいいと思っていました。どうせ自傷行為をするならもっと深く自傷行為をすればいいのにとさえ思っていました。思ってはいけないことだけど、そう思ったりしました。だから、「退院できてよかったね」と心から言えたことは大きな出来事だったと思います。不思議でした。その退院のあと、どうしてこんなに変わったのだろうと思うほどですから。
      家族相談を主催している大学に先生にこの話をしたところ、「お母さんが変わってきたから本人も怒らなくてすむし、お母さんも怒らなくてすむようになってきたのじゃないですか」と言われました。

      ――ご本人さんだけでなく、家族も変わってきたのですね。

      自助グループにつながるまでは、ずっと辛い思いを持っていましたが、誰にも話せずにいました。まわりからは「いつもニコニコしていいね」と言われていました。そうやって仕事をつづけていましたが、息子から電話があったりすると、現実にひきもどされていました。
      依存症は病気だと知ったことは大きかったと思います。病気でこんなに苦しんでいると思うと、責める気持ちがなくなりました。こんなにシンナーで苦しんでるのに、追いかけるように自分が責めなくてもいいと思うようになりました。
      依存症が病気と知る前は、息子が好きで勝手にやってると思っていました。息子からは「気持ちを分かってくれない」とよく言われていましたが、息子こそ仕事もしないで、お金をせびって、おどして、私の気持ちが分かってないじゃないかと思っていました。息子と向き合うとき、怖いという気持ちがずっと先に立っていました。体がビクビクビクと反応するのです。たじたじとなる。言うべき言葉が出ないのです。でも、本当は怖くなんかないのです。薬物依存は病気で、生きるために薬物を使っている、薬物を使ってなければもっと早く死んでいた、ときかされました。病気という言葉がストンと胸に落ちてきて、本人がかわいそうと思えるようになってきました。

      ――薬物依存症が病気だと知ったことのほかに、自助グループに通うことでどのような気付きがありましたか?

      「無力」ですね。それを知って、大きく変わったと思います。それまでは、この子を産んだかぎりは自分がなんとかしなくてはと思っていました。でも何十年かかっても悪くなる一方。怒ったり、泣いたり、褒めたり、喧嘩したり、押さえ込んだり、シンナーを隠れて捨てたり、いろんなことをしました。でも、何をしても、いくらしてもどうにもならないんだ、もうお手上げだ、治してやろうと思う方が無理なんだ、と思いました。自分ではどうすることもできないと思った時点で、病気と知ったときと同じくらい楽になりました。
      自助グループにつながってなかったら、おんなじことを延々とやっていたと思います。脅されながら尻拭いをするということ。12のステップを勉強していくうちに、本人が怒りだすのも私の口から出た言葉で怒るんだと気づきました。

      ――まりさんは、自助グループにつながることで回復なさっていると思うのですが、すべてのご家族にとっても有効なものなのでしょうか?

      まず、時期があると思います。薬物依存症の家族について書かれた本を読むと、いいことがいっぱい書いてますね。自助グループや家族相談でもいい話をきける。でも私も最初はすごく抵抗した。かっこいいことを書きすぎている、かっこいいことを言い過ぎていると思いました。依存症者本人を信じろとか尊重しろとか言われても、息子からの電話のベルすら怖い。電話のベルで、どんないい言葉もふっとんでしまう。
      自助グループに通いながらも、入院中の息子からかかってくる電話が怖かった。電話が鳴るのが怖かった。別の電話にも出るのも怖かった。電話で責められるのが怖い。病院からは電話をかけられる時間が決まっているので、その時間が近づくと怖くてしょうがなかったですね。そのことをフリーダムのスタッフに言うと、「電話がかかってくる時間がわかってるなら、その時間は留守にすればいい」とアドバイスを受けました。それからわざとその時間には買い物とか、外出するようにしました。そうしてステップの勉強をすすめていくうち、息子からの電話にも出られるようになりました。

      ――通いつづけていれば、回復する時期が訪れるのでしょうか?

      フリーダムのスタッフから、「通いつづけなさい、通うしかない」と言われました。自助グループだけでなく、家族会とか、集まりがあるときいたら、すべてに行きました。楽になりたかったから。かつては自助グループが月曜と火曜しかない頃があって、そのときは次の集まりまでとてもしんどかったですね。今は毎日どこかで集まりがありますけれども。自助グループにいる間は楽でした。誰かの話をきく。自分の辛い思いだけを話す。みんながきいてくれる。そのあいだ、息子のことを忘れる。吐き出すこと、人の話をきくこと、両方で楽になる。誰もが辛さがたまりにたまっているんです。殴られて骨折したとう自助グループの人の話をきいたとき、息子は自分には騒ぎはしたが、自分を殴ったり蹴ったりはしないなと思ったりもしました。

      ――自助グループの様子はどんな感じなのですか?

      自助グループでは、たいてい10人前後の人が集まります。新しい参加者があればまずその人の話をきかせていただいて、それから参加者が話します。1人につき5分から7~8分。話すのが慣れていない人も多いから、きいていてよくわからないような話やぴんとこないこともあります。本当は体裁に構わずに、正直さ、率直さ、その人のものとして話せばいいのだけれど、それもなかなか難しいと思います。

      ――ご家族のうちには自助グループや家族の集まりが自分に合わないと思う方々もいらっしゃると思いますが、回復する時期が来るまで通いつづけてほしいですね。

      タフラブという言葉があります。親も大いなる勇気が必要です。私が自助グループにつながって半年経ったころ、息子が「3000円くれ」と言いました。「あげられない」と私は答えました。それは今までは言えなかった言葉でした。最初は抵抗しながら本で読んだり自助グループできいていた言葉が自分にしみこんできたのだと思いました。私の言葉をきくと、息子は家を飛び出して行ったんですが、行くところもなく30分で帰ってきました。息子がガラスを割ろうとしたとき「割ったら警察を呼ぶ」とも言えました。親も言ったことに責任を持たなくてはいけません。今までは言いたい放題でした。何度「これきり」とか「これが最後」と言ったかわからない。親にも勇気が必要です。通い続けることで力がわいてきたと感じた出来事ですね。

      ――今日は貴重なお話をありがとうございました。最後に、このインタビューをお読みの方々に、あらためてメッセージをお願いしたいのですが。

      私はずっと息子を信じられませんでした。今は信じることができます。このインタビューを読んでいる家族の皆さんには、「子どもさんを信じてあげてください。いつかきっと良くなります」と伝えたい。でも、まだコミュニケーションができてないときには無理な言葉です。つながっていれば、いつか必ず信じられるときが来ます。
      すべてを受け止めることが大切です。薬物をやめられないかわいそうな依存症者を受け止める、そう考えると、何の不足もなくなりました。責める気持ちもなくなる。いとしいと思います。いままで自分が息子をいじめてたんだと思うようになった。思いもよらないことでしたね。
      親はずっと罪悪感をひきづっています。でも、私も自分なりに一生懸命やってきたんですね。親も欠点をいっぱい持っています。自助グループにつながってから、やっと自分に欠点があると言えるようになりました。
      自助グループで会う親御さんたちも、信じられないという方が多いです。私は自助グループにつながっていますが、息子はダルクやNAにはつながっていません。息子は息子で考えればいいと思います。心の中では良くなってほしいと思います。
      今までと同じように息子と一緒に暮らしているのに、びっくりするぐらいに平安な一日を送れています。

      個人的な体験談であり自助グループを代表する意見・話ではありません

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