薬物依存症回復支援 — 薬物依存症は回復できる病です

直樹


僕が初めて大麻を吸ったのは20代後半でした。

fp17

そのころ仕事を探していて、求人情報の記事に目が止まり、面接に行く事にしました。内容は、ドライバーと書いてあり、何かを配達する仕事だと思いましたが、行ってみると風俗の仕事でした。面接をしてくれた人の話を聞くと、頑張れば給与がいいのと楽しそうだと思いする事に決めました。
まじめな僕はひたすら頑張り続け、半年後には一カ月70万位の給料を貰うようになりました。仕事内容は、車で女の子をお客さんの家に連れて行く事と、ビラをポストに入れる事でした。一緒に仕事をしている人達で、覚醒剤や大麻をしてる人がいた事は知っていましたが、興味ありませんでした。

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    • ある日仕事仲間の車に乗り、その人と喋っていると、黒いねんどのような物を手で丸めてパイプに詰め火をつけて吸っていました。僕がみていると、吸ってみる?と言われ、僕は興味津々で少しドキドキしながら吸ってみました。だんだんと後頭部がチクチクしてきて、体が宙に浮くような感じになり、なぜか楽しくて、笑いが止まりませんでした。また大麻を吸いたいと思い、女の子がお客さんから貰ってくる大麻を吸っていました。
      どんどん大麻が好きになり、気がつけば栽培していました。大麻を育てる事が好きになりまた収穫して、頂くのも楽しみになりました。冷蔵庫の中はいつも大麻がありました。しかし、大麻を毎日頂いていると、初めて吸った時のような感覚がなくなり、段々と頭が麻痺して効かなくなりました。
      仕事仲間が大麻と覚せい剤を一緒に吸っていました。すごく美味しそうに吸っているので、僕も真似をして吸ってみたら大麻の効きが良くなり、肺がもやもやと気持ちよくなり何ともいえない気持ちになりました。
      それからは、大麻を吸う時は覚醒剤も一緒に吸っていました。しかし、覚醒剤の効力が強く、覚醒剤だけを吸うようになり、いつのまにか育ててる大麻の苗が枯れていました。覚醒剤を吸って、ビデオ試写室に行き、10時間位こもる事が週末の日課になっていました。
      そんな自分が嫌になり風俗の仕事をやめて、父親の店で働かせて貰うようになりましたが、薬は止めれませんでした。薬を使ってない時はイライラして、すぐにキレやすくなり仕事になりませんでした。周りの人にも父親にも迷惑かけっぱなしで嫌になり、店をやめてトラックドライバーの仕事をすることにしました。しかし、給料のほとんどが薬代でなくなっていました。体がボロボロになり、いつも汚れた服を着てガリガリに痩せていきました。

      そんな僕を見て、父親はもう1度チャンスをくれてお店で働かせてくれましたが、薬をやめる事ができませんでした。薬をやめられないのは自分なのに、人のせいや親のせいにしていました。そして、父親の店に忍び込みお店の売り上げ金を盗んで、そのお金で南の島に行きました。ここで一生暮らして行こうと決め仕事も見つけました。辿り着いた所は人口77人ほどの小さな島で、今まで見た事のない青い海とピンク色の夕焼けでした。夜になるとゲッコーの鳴き声と波の音と島人が鳴らす三味線の音しか聞こえませんでした。
      僕はそこで民宿の手伝いをしていました。社長もママもなぜ僕が大阪から遠くの島に来たのか、聞いてきませんでした。夜になると民宿の庭はビアガーデンになり、飲みにきていたお客さんと口論になり、泡盛のビンで頭を叩きました。おじさんは倒れて、床が血だらけになり、僕はハッとし、電話を取り110番しようとしたら、お店のおじさんとママが警察沙汰にするなと、電話を取り上げ、僕はどうしていいのかわからなくなり、今日はもう部屋へ戻れと言われ、その後おじさんがどうなったのかわかりません。
      民宿で働くのが嫌になり、6ヶ月で大阪に戻りました。

      大阪に戻ってからすぐに薬を買いに行きました。6ヶ月間してなかったせいか、連続使用して、頭がおかしくなり、幻聴と幻覚と妄想が強く怖くなって自分で110番して、覚醒剤してるので捕まえに来てくださいと言いました。2ヶ月位拘置所で過ごし、執行猶予の判決を貰い、もう二度と薬はしないと心に決めましたが、拘置所を出てから10ヶ月後に再使用しました。母親が泣きながら宗教の施設を進めてくれ、施設に住み込みました。しかし、友達に連絡を取り大麻を宅急便で送って貰い、大麻を吸いながら神様を拝んでいました。施設を出てから友達と住むようになり、覚醒剤だけはやめておこう決めていましたが、半年後に売人と待ち合わせをして買いに行きました。家に持って帰る途中、ポケットから薬を出して、1度捨てましたが、また捨てた所に戻り拾いに行きました。その後連続使用して思う存分薬を使いました。妄想が強く、頭がおかしくなり、友達に殺されると思い込み、包丁を自分の枕元に置きました。友達はビックリして僕の母親に電話をしていました。母親は薬を何とかやめさせようと研究をしていました。そして、精神病院に連れて行って貰い三カ月入院して、その後ダルクに入寮しました。ダルクの入寮も母親の進めです。入寮するかしないかは、あなたが決めなさいと言われ、僕は今の自分が嫌なのと、母親を信じていれば間違いないと思い入寮しました。

      入寮してからは、いつも不満で、毎日が嫌でした。2か月でホームシックになり、仲間に電話をしてくると嘘を言ってそのまま薬を買いに行きました。ビデオ試写室で薬を頂き、そのまま家に帰りました。家に帰ると、母親から困る、ダルクに戻って欲しいと言われました。妹と母親が車で、駅まで送ってくれました。母親は泣いていました。
      ダルクに戻ってからは、毎日ミーテイングと寮での生活になり、今はアルバイトをしています。最後に薬を使ってから一年と三ヶ月が経ち、最近はイライラする事が少なくなりました。ダルクの生活で、しんどい時、どうしょうもない時、薬がしたい時等、色んな事がありますが、同じ薬で苦しんで来た仲間に助けられ、守られている事で乗り越える事ができます。今、クリーンでいる事に感謝したいです。そしてこの先も、ずっとクリーンでいたいです。この先、新しい仲間のサポートが出来ればいいかなと思い、今日一日を過ごしています。

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