サンフランシスコツア-報告 ’98

私たち、ツアーの一行をサンフランシスコで最初に迎えいれてくれたのはヘイトアシュベリーフリークリニックの人たちだった。ツアーをコーディネートして下さったホンマ先生(サンフランシスコ保健局顧問)がツアー初日のプログラムに、このクリニックへの訪問を設けたのは、とても意味のあることだったと思う。なぜならヘイトアシュベリーフリークリニックは、サンフランシスコでの薬物関連問題の「草分け」的な存在であり、理論的・政策的なセンターだからである。 同クリニックは、1976年に開設された。その当時サンフランシスコは、ヒッピームーブメントの中心で、世界から反体制的な指向性をもつ若者が集まっていた。彼らは、ロックミュージックを愛し、ドラッグを愛した。ロックの著名なプロデューサーであったビル・グラハムは、彼がプロモートしたコンサートの収益を基金に充て、フリー(無料)のクリニックを創設した。それがこのクリニックの由来であり、このクリニックはドラッグカルチャーの中から誕生した、とも言える。だからこそ、クリニックのモットーは「薬物依存者を肯定も否定もしない」で受け入れることや「ヘルスケアは権利であり、限られた人の特権であってはならない」という、とてもラディカルなものであった。 ベトナム戦争を契機に、ドラッグ乱用が一般に広がると、先駆的な働きをしていたこのクリニックは公的な助成を受けるようになり、サンフランシスコで指導的な役割を果たすようになった。 同クリニックを訪れて、私たちが驚かされたことは多い。その一つは、まさにクリニックのモットーである「ヘルスケアを誰もが受ける権利」を保障するための努力が積み重ねられている、ということだ。一例をあげると以前は、女性の受診が男性に比べて少なかったそうだ。その原因を調査してみると、男性とちがって女性は自責的な傾向が強く、「自己責任」を強く求める、それまでの治療スタイルは男性には有効であるが、女性には自責感を強める結果になることが分かった。女性の依存者を受け入れるため女性向けのプログラムが開発された。また、女性は家事・育児に追われており受診の時間がとれないという制約があるため、クリニックに保育所が併設された。さらに女性は「交通弱者」でもあり、一家に自動車が一台しかなければ、それは男性用で女性は使えないという実態もある。このためバンによる送迎サービスやバスチケットの提供が実施された。この一例から分かるように、「ヘルスケアを受ける権利」を保障するために必要なサービスは何か、ということが常に検討され、実行されているのである。 このクリニックでは、現在、薬物・アルコール依存症者に解毒・リハビリ・アフターケアのサービスを行う他、拘置所での精神科カウンセリング(個人・グループ)やホームレスのためのバンによる巡回診療活動など多彩な活動が行われている。 ヘイトアシュベリーフリークリニックではホームレスの支援を目的にアウトリーチのチームが置かれているが、私たちが訪問した他のクリニックやリハビリ施設でもアウトリーチのスタッフが配置されていたことは特筆すべきことだと思う。スタッフが地域に足を運び、薬物の問題を持つ人たちに働きかけ、治療につながるように促したり、エイズ予防の教育を行ったり、ホームレスの救護活動を行う。このような役割は、我が国では保健所が担うものと考えられているが、現実には保健所のマンパワーにも限りがあり、アメリカのように民間団体(NPO)がカバーする必要があると思える。 次にリハビリ施設の紹介に移りたい。私たちのツアーでは、サンフランシスコで四つの異なる施設を見学することができた。施設の規模やプログラムはそれぞれに違いがある。 その内の一つ、アジアン・アメリカン・サービスはアジア系の人たちを対象にリハビリプログラムを提供している。デイケアや入寮、アウトリーチなどのプログラムがある。スタッフは総勢60人の比較的小規模な施設である。入寮プログラムは1年間で、入寮者は1年の間に、自分を見つめ、薬物を使わないで生活するトレーニングを行う。また自分の帰るコミュニティでボランティアをしたり、アパートをかりて試験的に生活をしたりして、地域社会に戻る準備をしていく。プログラムを完了する人は入寮者の15%である。 入寮者のほとんどは司法機関の命令で入所している人で、入所経路のひとつはドラッグコートから、もう一つは、刑務所に服役中の人が、刑期の残りの期間をリハビリ施設で過ごすことを望んだ場合に仮釈放を受けて入所する「オルタナティブ」と呼ばれるものである。入所中にドラッグの使用が発見されると、退所になり司法機関に身柄が預けられることになるが、本人が正直に申し出ると、司法機関に通報せず「最初からやりなおしましょう」という対応をしている。どちらの場合も施設のプログラムからドロップアウトすると拘置所に送られることになる。 この施設には、市から入所者1人当たり1日55ドルの委託費が支払われている。刑務所で処遇するよりも経費が安くつく、ということをスタッフは強調されていた。 私たちが訪れた施設の中で、もっとも規模が大きかったのはデランシーストリートファンデーションである。この施設は海岸通りのワンブロックを占める広大なもので、私たちがまず招じ入れられたのは、施設内にある映画館だった。ジョージ・ルーカスら著名な映画人の寄付をもとにつくられたこの映画館は、大阪のどのロードショウ劇場よりも美しい。 その後、案内された施設の建物もリゾートホテルを思わせるようなものであった。これらの建物はすべて、この施設の入寮者が設計し、建設したものであると言う。この施設では、公的助成や寄付に頼るのではなく、入寮者によるレストランや自動車整備工場、印刷工場、映画製作スタッフの派遣事業などの収益によって施設が運営されている。私たちを案内してくれた回復者のフランク・シュエイカートさんは、「薬物依存者は地域でも刑務所でも、どこにいても与えられるだけの存在でした。しかしここでは、誰もが責任を持ち自分の力を感じることができるのです」と語る。この施設では、「責任と自立」が重視され、入寮すると施設の清掃などの責任を与えられ、やがて収益事業に加わるようになる。このため入寮期間の定めはなく、共同体の一員となって生活していくことになる。付け加えると、ここでは他の施設とは異なりAAやNAプログラムは推奨されない。 このように多様な特色をもつ施設が数多く存在する。私たちのツアーは、そのほんの一部を訪ねたにすぎない。アメリカ全土では治療・リハビリ施設の数は、1100を超える。

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