薬物依存症回復支援 — 薬物依存症は回復できる病です

僕が入院するまで


fp12

僕は現在、大阪ダルクの入寮施設アルバで生活しています。今思えば本当に長い間、薬を使い続けたと思います。僕が薬と出会ったのは18歳の時でした。友達が飲んでいた咳止めシロップです。好奇心から飲み始めた僕は、たちまち薬のとりこになっていきました。何とも言えない多幸感、こんな素晴らしい世界があるのかと思い、来る日も来る日も薬を使い続けました。ある時は友達と薬をキメて喫茶店で何時間も音楽を聴いたり、他愛もない話をしたり、ある時は彼女と会う前に薬をキメてドライブしたり、ラブホテルへ行ってSEXをしたりと薬を使っては自分のやりたい事ばかりしていました。実は今回この原稿を書くにあたって記憶をたどっていくといつ、どこで、何をやっていたかどうか非常にあいまいで話が前後したりする事もあります。なにしろ18歳の頃から15年間薬を使ってきたので記憶がボケて断片的に物事を思い出しながら書いています。僕は商売人の忰としていつか家業をつがなあかんと思ってましたけど実際はずっと逃げ続けてたと思います。こんな僕でも20代前半は仕事をしていました。けど必ずといっていいほど薬を使っていました。というか薬を使わない事には仕事も行けなくなっていたのです。車を運転して職場へ向かうのですがエンジンをかける前に咳止めシロップを2~3本飲んでからやっと身体的にも精神的にも活動できる様になるのです。今思えば使い始めてすぐに僕はいっぱしの薬物依存症者になっていたのでしょう。しかし当時は自分が病気だという認識はなかったし、その後どん底に落ちていくなんて考えてもいませんでした。でも薬を使っていると段々問題が起こりだしました。まず仕事を休んだりする様になった事。当時は家業ではなく、他の職場で働いていたのですが何しろ仕事が終わるとそのまま友達に会いに行き、仕事前にキメていたのにも関わらずまた、何本か咳止めシロップを飲み、明日の事を考えずに夜通し遊び続けるのです。朝方になると薬のキレめもあってもうクタクタになっているのです。そして嘘をついて仕事を休む様になっていきました。そんな事の繰り返しでは仕事も長続きする訳もなく、すぐにやめたりしていました。25歳の時、父が亡くなり家業を手伝うようになったのですが常に薬を使いながらで友達から誘いがあるとすぐに仕事をさぼって遊びに行ってました。いつからかは忘れたけど、薬のキレ目のイライラする時に鎮静剤も使うようになっていましたし、他にも大麻も好んで使っていました。生活の全てと言ってもいいほど、薬に支配されていた僕はやがて家業も辞めるというか、母に「やっていく自信がない」と言って会社をたたむことにしました。その時はなぜかホッとした事を覚えています。それからは短期のバイトをしたりもしたけど、長続きせずやめてはの繰り返しで、気がつけばだらしのないプータローになっていました。そして最初は給料を薬代にしていたけど、それだけでは間にあわず、親の金を盗んだり、質屋に親の物を勝手に入れたりしていたし、借金もするようになっていました。こんな僕の尻拭いをいつもしてくれたのは母でした。

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    • そして、ある時金を作る為に始めたのが本とCDの万引きです。盗んできた本やCDを売りさばいては薬代や飲み食い代にしていました。そんな生活をずっとしているとまともに働く事がバカらしくなり、ますます生活が乱れていきました。そして徐々に僕自身が壊れていきました。幻聴と追跡妄想が段々ひどくなり、最終的には家族にも殺されるという根拠のない妄想に捕らわれて部屋の中で包丁を握りしめていました。そしてある日、母親と口論になり頭が真っ白なった僕は、台所のガラスに頭突きをし、拳でガラスを割り家族が警察を呼ぶ事態になりました。警察署に連れて行かれ、色々言われたけど、僕は家に帰ると言って、その日は家族と家に帰りました。そして次の日、母と妹に精神病院に入院してくれと説得されました。僕は精神病院というものにすごい抵抗を感じていましたが僕自身この先どう生きていけばいいのかわからなくなっていたので結局、入院する事にしました。入院2日目に僕は妄想からくる恐怖で部屋のガラスを叩き割り、病院を脱走しました。真っ先に向かったのは薬局でした。金を持ってなかった僕は店の中で勝手に咳止めシロップを2本飲み、1本を握りしめ店員に「おい、もらっていくぞ」と言って店を飛び出しました。そして、タクシーに乗って実家に向かいました。タクシー代を持っていなかった僕は実家のインターホンを鳴らして、家族にタクシー代を払ってもらいました。母も妹もビックリしていましたが病院から警察に捜索願いが出てたらしく、家に着くなりすぐに警察数人と救急車が迎えに来ました。そしてまた入院する事になりました 病院に着くと主治医の先生が玄関で待っていました。そして、今度は保護室に入る事になりました。こうして僕は長い入院生活を送る事になりました。
      僕は結局、病院に4ヵ月弱入院していました。その入院中に、初めてダルクやNAのメッセージがありました。最初は何の事かピンとこなかったけど、仲間の話を聞いていると薬で生き方がどうにもならなくなったのは僕だけではないんだという事がわかりました。
      その後、何回か病院から看護士さんに連れられてNAのミーティングに行きました。
      さて、退院後の僕の行き先はなぜかよくわからなかったんですけど、母の強い勧めで沖縄ダルクという事になりました。今でも何で沖縄ダルクを勧めたのかよくわかりません。
      いろんな人にも反対されたんですが、僕は行くと言いはって行く事になりました。
      でも正直その時の僕は何となく地に足がついていない状態で話の流れに身をまかすというかプログラムに取り組む決心などなかったと思います。
      そんな調子で行ったので沖縄ダルクのプログラムは僕にとって非常に厳しいものでした。
      そして入寮して4日目、僕は施設を飛び出しました。金は一銭ももたず処方箋だけを渡されて出て行く事になりました。そしてナイトケアのマンションに戻って残っていた眠剤を全部一気に飲みました。そこで僕はバタンと寝てしまい1時間後ぐらいにスタッフに起こされて、「出て行ってくれ」と言われ、持てるだけの荷物を持ちマンションを後にしました。
      その後、他にもダルクを飛び出した仲間がいて彼らと共に公園で野宿をしました。
      最初は、朝、ダルクに行きそして晩のNA会場まで弁当をもらいにいく為に何㌔もの道を歩いていっていたのですが、3日目か4日目にある仲間が名古屋に帰れる様になり、そして、その彼が僕に航空費をかしてくれる事になりました。その彼はとてもいい男で今は再び沖縄でプログラムを頑張っているみたいです。昨年の東京でのコンベンションで彼と再会でき、感謝の気持ちを伝えるとともに借りたお金は自立してから必ず返すからと言うと、彼は、「いつでも いいよ」と笑顔で応えてくれました。野宿生活をした彼との4日間は辛かった反面、楽しくもありました。ヒッチハイクで乗らしてもらった人にスナックに連れていってもらい泡盛を浴びるほど飲んだ事等、今ではいい思い出になっています。
      そして、僕は彼のおかげで大阪に帰る事ができました。家族はビックリしていたけど僕はホッとした事を覚えています。そして、大阪ダルクのスタッフに連絡し、帰ってきた事を伝えると大阪ダルクに来るように勧められました。そして3、4日通所した後、「チューは家にいちゃダメだよ」と言われて入寮する事になりました。そして、大阪ダルクでのプログラムが始まりました。丁度、大阪に入寮してから2か月後ぐらいだったと思いますが、ダルクの行く道で薬局が目に入りました。何気なく店に入った僕は咳止めシロップを1本買いました。そして、迷う事なく一気に飲みました。その日から僕は毎日、スリップし続けました。金のない時は盗んででも咳止めシロップを飲み、その事を正直にスタッフや仲間にうちあけるまで2か月程かかりました。自分の力では止められずどうしていいかわかりませんでした。やっとスタッフに話すことができ解毒入院することになりました。開放病棟なのに外出する時は必ず病院のスタッフ同伴という条件付でした。2週間はあっという間に過ぎ退院したのですが翌日僕はまたスリップしてしまつたのです。その時は1本しか飲んでいないのに心臓がドックン ドックンして苦しくなり仲間にスリップして体調がおかしい事を告げ晩のNAのミーテイング場までついてきてもらいました。
      そしてそのままミーテイング場の前にある救急病院に行く事になり、そこでスタッフと顔を会わす事になり、スリップしたのでネットカフェで一夜を過ごし、次の日ファミレスでスタッフと話す事になりました。僕には他にも行く所などなかったので「もう一度プログラムを続けさせてください」と言いましたがスタッフに「決心が足らない」と言われ「自分に足りないものを探してこい」といわれ三重ダルクに行くという提案をされました。そして、どうしていいか分からなくなっていた僕はそのままボストンバック一つで三重ダルクに行く事になりました。結果的に2週間三重でプログラムをしたのですが、三重ダルクのプログラムで僕は少し変わった様な気がします。僕にとってターニングポイントだったと思います。人の為でなく自分の為にプログラムを見直す様になりました。それから大阪へ帰ってきて、大阪ダルクの仲間達と共にプログラムを続けています。今、1年4ヵ月クリーンでいれています。シラフでいる事は、大変な事の方が多いですけど、仲間達といると楽しい事もあります。これからも今日1日の積み重ねで日々大切に過ごしていきたいと思っています。

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