薬物依存症回復支援 — 薬物依存症は回復できる病です

否認について


サンフランシスコからベイブリッジを挟んだ反対側、バークレーの北にリッチモンドという街がある。

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中南米やアジアからの移民が多く、安くておいしいメキシコ料理屋や中華料理屋などが軒を並べる所だ。前回紹介したフェニックスプログラムというNPOの仕事の一環で、リッチモンドにある薬物依存者の居住治療プログラムでしばらくグループセラピーと個人セラピーを担当していたことがあった。そこはキッチンでつながる平屋建ての二棟で、薬物依存を抱える18歳以上の男女が16人ほど生活を共にしていた。入居者は規則正しい生活を送りつつ、一日何度も開かれるグループに参加し、家事を分担し、庭仕事に汗を流したり、医師の診察を受けたり、外部の12ステップグループに参加したりしながら薬物依存からの回復を目指す。期間は6ヶ月で、無事プログラムを終了すると、福祉住宅を紹介してもらえたり、職業訓練プログラムやカレッジのコースを取ることができたりする。入居者の多くは無職のホームレスで、精神疾患を抱えている人も少なくないため、こうした支援は不可欠なのである。


ただ残念なことに、6ヶ月のプログラムを全うする人の数はそれほど多くない。ある日忽然と消えてしまったり、家族を恋しがって家族の元に戻ってしまったり、施設内で酒を飲んで退寮になったり(薬物使用が発覚しても、外出中に摂取した場合であれば3回までは残るチャンスが与えられるが、建物内で使用すれば即アウトである。他の入居者に示しがつかないためだ)して、途中でプログラムを去る人が多いのだ。ここは閉鎖施設ではないし、基本的には本人の意思で入居することになっているから、途中でドロップアウトしてもスタッフは止めない。前回も書いたが、回復は基本的には本人の意志であり、周りが強制することはできないのだ。我々はただ、誰かが時ならず去るたびにがっかりするだけである。

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    • ここでグループを続けるうちに、おもしろい現象に気づいた。一見いかにも意志が弱そうで、個人面接の時にも「チエコ、僕は一生クスリをやめることはできないと思う。そのうちきっとまた使うようになると思うんだ」などと話す入居者が意外にプログラムを全うするのに対し、声高に「俺は2度と使わない」という人ほど途中でドロップアウトしていくのだ。
      後者の典型が、ある男性入居者Pだった。Pは子どもの頃からの夢だった消防士という職業を誇りにしていたが、休暇中に事故でくるぶしを痛め、その怪我が元で訓練について行けなくなり退職を余儀なくされた。そのとき大きな挫折感を味わったが、もともと努力家で人当たりの良かった彼はまもなく家具のセールスの仕事に就き、かなり良い給料も取れるようになっていた。
      だが足の傷は完治せず、痛みを紛らわすのと、消防士引退の挫折感を忘れるためにいつしかクスリに手を出すようになる。気がついたら彼は何もかも失っていた。家も仕事も、一人娘の親権も。後はお決まりのパターンで、司直の世話になり、観察官の紹介でこのプログラムにやってきた。以前別の居住プログラムに参加したこともあるが、最後まで終えることができずに途中でやめていた。
      「あのころはまだ真剣に回復について考えていなかったんだ。でも今回は違う。俺は真剣に薬物をやめたいんだ。もう30歳を過ぎたし、家族と暮らしたい。父親としての責任を果たしたいんだ」と彼は私に向かって熱っぽく語った。グループでも場を独占する勢いでしゃべり、過去の反省と、クスリを使わない決意で発言を締めくくるのが常だった。いやいやグループに参加している入居者も多い中で、いつも目を輝かせて話してくれる彼は新米グループセラピストの私にとって有難い存在だった。「こんなに固く決心しているなら、きっと彼は頑張ってくれるだろう」と、私はかなり楽観的だった。
      ところが、ある日オフィスに行くと彼の名前が入居者一覧のボードから消えている。「昨日の夜中にいなくなったわ。誰にも何も言わないで。荷物さえ持っていかなかったのよ」とスタッフの一人。もちろん「期待」を裏切られた私はがっくりだ。「あんなに前向きだったのになぜ・・・」その日のグループは、良く話す彼が消えて、いつもよりぐっと静かだったが、日ごろあまりしゃべらない参加者が比較的良く話してくれた。ひょっとしたらいつもはPの勢いに押されて、他の人は沈黙しがちだったのかもしれないなと思った。
      数日後またその施設を訪問すると、彼はそこにいた。夜中に抜け出してバーでコカインに手を出したが、結局他に行くあてもなく翌日の夕方戻ってきたという。もちろん無断外泊や薬物の使用は重大な規則違反ではあるが、例の「3回ルール」のために今回は戻ることを許されたのだ。
      その日のグループでは、彼は前にも増して饒舌だった。「もうあんな馬鹿なことは二度としない。体がものすごくクスリを必要としていたんで抜け出しちまったんだが、路上に寝てクスリが切れたときに本当に後悔したよ。あんな思いはもうまっぴらごめんだ。俺はもう絶対プログラムから逃げ出さないし、クスリも使わない。クスリをやるなんてほんとに馬鹿げてる」
      ところが数週間後、彼は再び姿を消したのである。そして今度はとうとう戻って来なかった。
      Pの心の内は、どのようなものだったのだろうか。彼が置かれていたような心理状態は、薬物依存者に共通する、「否認」と呼ばれる心理的防衛である。
      薬物依存者の否認にも異なった段階がある。まず最初は、自分に薬物の問題があるとまったく認識していない場合。上司が自分を正当に評価しないから、妻が口うるさくてわずらわしいから、子どもがうるさいから自分は酒を飲んでるだけだ・・・と周囲に責任転嫁するタイプである。この段階にある人には、まず自分には薬物の問題があると認識してもらうことが課題になる。その認識に達し、治療施設の門をたたくまでに長い年月を費やしたり、刑務所の世話になったりするケースが珍しくないのは、このニュースレターに掲載される、メンバーの方々の体験談にも詳しい。
      次が、自分の問題を過小評価している場合。Pのケースがこれにあたる。確かに自分には薬物の問題があった、でもそれは過去の話だ、今はもう大丈夫、意志の力で何とかクスリをやめてみせる・・・というタイプだ。この段階の人は、依存、強制入院などによる解毒, 治療プログラム、プログラムからのドロップアウト、依存・・・というサイクルを何度も繰り返す。彼らの課題は、薬物依存は脳の組成を変えてしまうこともある病であり、糖尿病や腫瘍などといった他の病気と同様、治療が必要であること、依存からの回復は意志の強弱の問題ではなく、周囲の助けが不可欠であることを理解することだ。
      人はなぜ否認に陥るのだろうか。それは、自己を見つめるというのはどんな人間にとっても容易ではないからである。自分の内面に分け入るのは、本当にきつく苦しい作業だ。そこには見たくない過去の傷、押し殺してきた怒り、耐え難い心の痛み、失ったものに対する悲嘆など多くのつらい感情がひそんでいる。そもそも、そうした感情に向き合いたくないからこそ今まで薬物を使用してきたのだ。それよりも周囲の人のせいにしたり、「大したことないよ」と問題を過小評価したりする方がよほどたやすい。
      逆に、「自分は一生クスリと縁が切れないかもしれない」という自覚は、否認の段階を抜け出し、問題の大きさを認識した状態である。こういう人たちは、たとえどこかでリラプスしてもそれで一生が終わるような絶望感にとらわれることもなく、「ああ、これも予測の範囲内だった」と淡々と受け止めて再び回復への道を歩みだすことができる。実際、回復は生涯にわたるプロセスである。「オレはもう絶対2度と使わない」と自分にも周りにも宣言するのは、そのこと自体大きなプレッシャーであり、余計なストレスを生んでそれがリラプスの引き金になることだってあるだろう。「絶対」とか「2度と」という言葉が依存者の口からもれたら、少し注意が必要かもしれない。
      次回は、この「自己と向き合う難しさ」がゆえに依存者が陥りやすいわなについて考えてみたい。

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      藤原 千枝子(ふじわら ちえこ)新聞記者を経て渡米、サンフランシスコのカリフォルニア統合学研究所にてカウンセリング心理学修士課程終了。サンフランシスコとその周辺の複数のNPOにて、カウンセラーとして個人、家族、グループセラピーならびに子供のプレイセラピーを行う。05年1月にカリフォルニア州心理セラピスト(Marriage and Family Therapist)の資格取得。今春に帰国し、札幌で開業の予定。専門はハコミセラピーとトラウマ治療。

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