薬物依存症回復支援 — 薬物依存症は回復できる病です

私の回復


あの頃は想像を絶するほどハードな毎日で,体重も今より5キロ減少した。

fp19

今でこそ気づくことができる。主人の死後がむしゃらであったと。死んだ人の思いをしょって生きるのだ,私は…。
主人の母親の死,私の母をも時を同じくして失った。自分の仕事と家庭との両立。会社は倒産寸前で,パートを切り正社員も解雇,承諾できない人は海外勤務だった。私が会社で生き長らえた理由は,近々定年退職を迎える人であったから。しかし会社に残されても私は会社に大きく翻弄され,言葉では言い尽くせない屈辱を受け,苦しい毎日だった。

そんな中子ども達2人はそれぞれ新しい生活に入ったが,それもつかの間,不和が聞こえてきた。コントロールを無くしているのは息子だと。依存症者自身。私もなんとか変えることができると思っていた。遅刻,欠勤,事故,失職,借金,家庭内暴力,離婚,家族健康問題,経済負担…「お兄さん,人格も変化しているよ」。貴男の20歳のお祝いにバリへ海外旅行に家族で行ったあの時に,初めて薬物を…。

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    • 本人のことを知りつつも,どれほど多く本を読んでも,私は頭に入らず,ナラノンに何度か行っても,自分の生き方とは違う。ダルクの講演を聴きに行っても,「会社のあの件についてはもう1度確認を」などと,窓の外を見たり。どうしてこんな大人が貧乏ゆすりをして落ち着きがないのかと,隣に座っている男子を一瞥して,私は眉をしかめ,いかにも私は話を聞いているぞとペンを持ち…。今振り返れば恥ずかしい自分が,ある時は三重ダルクか,高知,大阪と電話相談を,その時何を話したのか記憶にないが,「はい」「はあ」「はい」…ダルクの方は私に同意してくれた。真剣に聞いてくれて,最後に「お母さんこそ楽しい時間を作ってください」。「えっー私が…」。
      めばさんにお会いして,弁護士さんのことをお話した時も,私の心の中で強制されていたものが崩れていくを覚えている。私の体はストレスからヘルペスで顔はブツブツ,子宮筋腫,頑固な便秘で3回も手術をした。心配事や絶望の中,すべて答えを出す必要はないと,スポンサーの方が,車で毎回毎回食事に行ったり雪を見,花を見,雨の中を時間が過ぎるのも忘れて聞き,話した。私の家の方にも来ていただいて,あの子の部屋もこのキズも畳みの焼け焦げも,「ここに大麻を栽培していたんだって」と飾ることもなく話せる私。友達があった。今思えばその頃から私の中に受け入れることができ,ステップ1,2,3。今も西川先生が1日に30分は机に向かうことを忘れずにと,他人の問題に巻き込まれず距離を保つ方法を学んでいる。
      まだまだスタート地点に立ったかなり重症な者だが,家から出たところから,私への治療が始まっていると思い,色んな所に出かけている。治療の新知識で,森田療法は,人は訴えれば訴えるほど,症状を強めることになる,気楽にいこうとある。ナラノンに出かける時も,仲間として,お互いに温かい気持ちを持つことにより,他人を愛し,自分自身を愛することができるように,誰にでも言葉で説明するのではなく,今日1日を生きます。
      プログラムを通してお互いに成長していきましょう。
      最後になりましたが,予定通り行けば話せる会場があり場所を提供してくださっていることに感謝します。
      かぜなどひかないで健康に気をつけて続けてくださいね。
      いつもありがとうございます。

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