どこかナースと似ている? レジデンシャル物語 ―カウンセラーが語る「嫌いなクライアント」告白記―

第1回 私の職場~レジデンシャルの風景

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「あっ,こんなに堂々と私を無視してる。視線だけじゃなく,顔まで背けて……」  私は,肋骨の中で心臓の位置がカクンと下がるような感覚をおぼえた。それと同時に,そこまで自分の感情をおおっぴらに表現するMさんに感心してしまった。彼女は,30人ほどのクライアントやスタッフが食事をするダイニングルームを横切り,頭をきりりと上げて,対面から歩いてきた私の横を平然と通り過ぎた…。  「優しい声をかけたって無駄よ。あなたじゃダメなんだから!」  Mさんのからだが,全身でそう叫んでいた。 築百年のビクトリアンハウス   ― 私の仕事場は,カリフォルニア。

 アルコールや薬物依存からの回復を目指して,20数名の女性が半年間の生活を共にする“レジデンシャル・トリートメント”と呼ばれるプログラムを行っている。  築百年になるビクトリアンハウスが隣り合わせに2軒…カリフォルニアの空を象徴するような“青色”に塗られた外観と,玄関の前には2階の屋根に届くほど大きな椰子の木が1本。駅に近い大通りに面した町は雑多で,私の仕事場であるこの“家”だけがただ1軒、周りから浮き立っているようにも見える。  掃除の行き届いていない町並は、朝夕のわずかな通勤時刻を除けば、歩く人々の足取りもゆるやかだ。信号無視で道を渡るグループ通学の子どもたち、肩を揺らしながらゆっくりと車道を横断する男の人、横断歩道へ遠回りしたくない老人たちが、とろとろとスーパーのビニール袋を揺らせて、往来する車を止めている。
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    • 生活に根ざしたリハビリ  この界隈は、レストラン、銀行、ペットホテル、金物屋、コンビニエンスストア、ビデオ屋、エスニックな食料品店、バー、古着屋、ディスカウントショップ、ネイルやブレード(三つ編み髪)の専門店が立ち並んでいる。数件の教会があり、日曜日は着飾った人たちが道路にあふれて見違えるようになる。  教会と同じ数の派手なモーテル、そして日本では馴染が薄いけれど、銀行口座を持っていない人が小切手を現金化できる店、質屋などが、周辺の経済状況を語っている。  “家”を一歩出れば、道路を挟んで向かいには酒屋があり、ドラッグもこの周辺でいくらでも手に入るという環境の真っ只中でのリハビリは、クライアントにとっては辛いだろうけれど、裕福な人たちが行く森の中の“リゾート風リハビリ”よりは、ずっと現実生活に根ざしているともいえる。 多様なクライアントたち  クライアントたちの背景はさまざまで、年齢は18歳から60歳くらいまで、人種もいろいろである。  中産階級からホームレスまで、多様な社会的階級の人々がおり、その半分近くが犯罪歴をもつ。窃盗やDV(ドメスティックバイオレンス:夫婦間の暴力沙汰や各種の虐待)がらみの傷害罪もある。そして圧倒多数は薬物などの所持や売買、そして売春である(ただし、酒類が自販機で売られている日本とは違い、缶ビールを片手に呑みながら歩いていても逮捕される州だということは承知しておいていただきたい)。    学歴は高校中退が多く、職歴は広範囲にわたる。まったく仕事の経験のない人もいるが、中にはカウンセラー、銀行員、看護師などのクライエントもいた。 心理ドラマと人生の危機の連続  レジデンス内での食事や掃除・洗濯は、クライアントが当番制でこなしている。また、これが毎日のもめごとの種になり、さまざまな葛藤が台所やバスルームを舞台に繰り広げられる。毎朝、職場に一歩足を踏み入れた途端に、けんかをした二人のクライアントからそれぞれの言い分を聞かされる…。嫌になって「出て行く!」と主張するクライアントに再考を促す…。  医療機関を受診しに出かける人にバス代を渡し…、「裁判所の出頭日を忘れたから」と言われれば保護監察官に連絡し…、「里親に預けてある息子に虐待の疑いがある」という話を聞き、児童相談所に通報するべきかどうか検討し…、「外出から帰宅した人が薬物の影響下にあるようだから」と尿検査をし…、「処方箋の薬を故意に飲み過ぎたらしくて、起こしても目覚めないから、救急車を呼ぼう」なんていうこともある。  毎日が心理ドラマと人生の危機の連続だ。 レジデンスのプログラム  ここで提供されるプログラムの第一の目的は、もちろん「アルコールや薬物の依存に戻らない」ということ。そのための第一歩は、薬物依存によりガタガタになってしまった生活の建て直しだ。  それを支えるスタッフには、衣食住の生活全般を助ける“ハウス・マネジャー”と、カウンセリングやワークショップを担当する“カウンセラー”、そして“庶務経理”と“プログラム・ディレクター”がいる。  毎日のプログラムは、朝の冥想(全員で静かに30分ほど座る。時には静かな音楽を流す)、散歩や運動、庭掃除から始まる。  続いて、アディクション(依存症)に関する学習、「健康的な人間関係・家族関係を築くには」、「怒りを適切に表現をするコミュニケーション訓練」、「AA(※)の基本である“12ステップ”」を学ぶクラス、「性的虐待からの回復」、「親業」などのワークショップ、そしてグループ・個人カウンセリングなどで構成されている。  初めの4週間を過ぎれば、週末の外出外泊もでき、たまにはクライアントの子どもたちが泊まりがけで訪れる。 ※アルコホーリクス・アノニマス;1935年にアメリカでたった二人の男性が始めた自助グループで、今ではおよそ150ヵ国で9万7千以上のグループが活動を続けている。メンバーのうち3分の1が女性、8分の1が30歳以下となっている。アルコール以外の薬物依存からの回復も基本理念は同じ。 クライアントとの多角的な関係  このようなレジデンスで働く上で、大きな特徴がある。  それは、一般のカウンセリングに比べて、カウンセラーとクライアントとの関係が多角的な点である。ここがレジデンシャル・プログラムの面白味でもあり、またつらいところでもある。就職したての頃は、「何とか一日中カウンセラーとしてクライアントに接していよう!」という新人ならではの浅はかな考え違いをして、3ヶ月後には心身ともに飽和状態になってしまった。  レジデンスの現場は、“カウンセラー”という一つの役柄に徹することができない。ワークショップの際には“先生”と生徒の関係になり、授業中に眠っている人がいれば注意もしなければならない。そうかと思えば、クライアントが食事当番をサボりたいのが見え見えの態度で「頭痛がするから休ませてほしい」と許可を求めてきた時、「台所へ戻るように」と命じてクライアントから睨まれたり、あるいは怒りを爆発させたクライアントから罵られれば、それなりの罰を言い渡さねばならない。そんな場面では“寮母”のような役割を担う。  週末の外出許可など、生活のさまざま面を左右する権限があるので、明確な上下関係が生じることにもなる。  このような「カウンセリングルームの外で起きる日常」と平行して、カウンセリングルーム内においては、クライアントの言動に価値判断を加えず、じっくりとその意味を一緒に探って行くような関係を築くなんてことは、まさに至難の技だ。看護師さんが“白衣”(こちらでは日本と異なり、色つきや柄物のユニフォームが多いけれど…)を着るように、担う役割を変えるごとにユニフォームを着替えられたらいいけれど…。できることなら“お面”をかぶりたいくらいの気分になる。  セラピューティックな場でありながら、同時に生活の場であるという点、場面や状況に応じて複数の役割を演じ分けなければならない点など、ある意味では長期療養患者とかかわる看護師さんが抱える立場上のむずかしさとも、相通じる部分があるかもしれない。  次に、こうした職場環境のなかで、私が出会った「嫌いなクライアント」との体験談を紹介しながら、転移・逆転移について少し解説を加えてみたいと思う。 1対1の関係が築けなかったMさん~「転移」について  私の“無能ぶり”を吹聴されて…  冒頭で描出したクライアントのMさん。年齢は40代の始め。ほかのスタッフには、巧みにすりよっておだてたり、ぶりっこをしたり、号泣して窮状を訴え特別扱いを所望したりして、けっこうかわいがられていた。しかし、担当カウンセラーである私に関しては、カウンセラーとしての「無能ぶり」をあちこちに訴え、私は他のスタッフから同情されるばかりだった。  初回のカウンセリングの時、約束の時刻になってもMさんは現われなかった。部屋まで迎えにいくと、知らんぷりして日記をつけていて、呼んでも顔を上げず、返事すらしなかった。  次の回は、時間どおりに現われたかと思うと、いきなり横を向いて座り、だんまりを決め込んだまま…。やんわりと、あたりさわりのない質問を始めると、いきなり怒り出しボロボロと涙を流し、部屋から飛び出して行った…。  こんな拒絶反応が数回続き、私は「自分の力量が足りないために違いない」と、がっくり落ち込んだ。しかし、同僚たちから「あなたがそんなに無能なら、他のクライアントたちとも上手くいかないはずなのに、これほど手こずっているのは彼女だけなのだから…」と励まされ、現実を見つめなおし、自分の心を落ち着けていった。 ますます翻弄される私  Mさんの言動は転移(※)であるとわかっていた。それでも、あまりにもおおっぴらに不満をぶつけるターゲットにされ続けると、さすがにかなりめげてしまう。ところが、私に対する彼女の態度は、いつもひどいかというと…、さにあらず。ある時は急になついてきて、他のクライアントと立ち話しているところへ、「私のカウンセラーよ!」と割り込んできたり、他のクライアントとのセッション中に、部屋の窓の外で跳びはねながら、私の名前を連呼したりした。  彼女は、頭のよさを発揮し、いつもすばらしい発言や質問をして、仲間から一目置かれる存在でもあった。私のワークショップにも積極的に参加し、ノートも取って宿題のエッセイもしっかりした内容のものを書いてくるのだ。ところが、いざ私と1対1の関係になると、どうも様子が違ってくる。こちらがよい関係を築こうとして近づけば拒絶される。そのために、私が心の中で、彼女とのセッションを疎ましく感じる始めると、たちまちその気配を敏感に察して擦り寄ってくる……。  そんなことの繰り返しで、私とMさんの関係には、なかなか進展がみられなかった。 ※気になる感情が特定の人にだけ起こる。多くの場合、子ども時代に両親などの大切な人との関係で経験した感情や行動が、ある個人によって触発される。彼女の場合は、母一人娘一人で育ち、異常に過保護な母親への怒りをすべて私にぶつけてきた。 Mさんの隠されていた顔  四ヶ月経ったある日のこと。彼女は他のクライアントと一騒動を起こし、ついにレジデンスからの退去を命ぜられてしまった。  いなくなってみると“家”の中がどことなく静かになった感じだった。普通は、誰かに退去命令が出ると、仲間内から惜しむ声が上がることが多い。けれども、Mさんにはそれがなかった。  後でわかったことだが、Mさんはスタッフの目が届かないところで、仲間にタバコを貢がせたり、洋服を取り上げたりして、女王様のように君臨し、恐れられていたという事実が判明した。他のクライアントたちが、その窮状をもっと早くスタッフに訴えなかった理由は、彼女が頭もよく、多くのスタッフに可愛がられていて、絶対にぼろを出さなかったので、ほかのクライアントたちは「文句を言っても、スタッフは私たちの訴えを信じてくれないだろう」と思っていたからだそうだ。  スタッフ一同、Mさんの隠された一面にはまったく気づいていなかった。結局、私が新米カウンセラーであることを十分心得ていた彼女に振り回され続けたのだった。かくして苦手なMさんとの関係は幕を閉じたが、後々まで深く心に残る経験になった。 2.ズバリ、嫌悪を感じる人々!~「逆転移」について 自己中心的(?)なKさん  先述したMさんとは、度重なる関係のなかで嫌悪感を募らせていった。しかしその一方、初対面からグワッと嫌悪感にみまわれるタイプの人もいる。  たとえば20代後半の女性のKさんである。彼女は入居した初日に、私のオフィスへ入ってくるなり、「ちょっと入っていいですか。私の担当カウンセラーは誰? いつ初回のセッションをやるの? ここは新しい入居者を歓待しないのね。到着したては、すごく微妙な時期で、こんなプログラムは止めてすぐにでもドラッグをやりたい気分なのに…。そういうことに無頓着なのね。ここの先輩たちは私たち新人のことを一番大切な人のように扱うべきなのに。ガムを噛んじゃいけないなんてルールは全然知らなかったし、スタッフに注意されるまで誰も教えてくれないのよ。親切心というのはどこへいったのかしら? 信じられないわ。…あ、あなたが私の担当? よかった。あなたのように有能な人でないと、わかってもらえないと思うし…。(この時点で私はまだ一言も発していない。Kさんが一方的に話しまくっているのだ…)。私は背も高いし、『一見、人を威圧しているように見える』って前に誰かから言われたことがあるんだけど、本当はすごく傷つきやすいのよね。それを誰もわかってくれなくて…」と言って涙ぐんだ。 その途端! 私の“逆転移メーター”の針がグーンとマイナス方向へ振れた。苦手なのだ、こういうタイプは…。 これぞ逆転移のサンプル  逆転移とは、カウンセラーが特定のクライアントによってある感情をかきたてられ、それが気になり、いつまでも自分の中に引きずってしまう状態のことである。私はKさんを前にした瞬間、過度の嫌悪感をおぼえた。もちろん誰もが彼女を嫌悪するわけではない。「一人ひとり反応は異なるんだ」と頭ではわかっている、それでも、「こういう人に会ったら、誰だって私と同じように嫌悪感を感じるでしょう!」と、思いたくなってしまう…。  しかし、仲間のカウンセラーたちの反応は、やはり一人ひとり違うものだった。あるカウンセラーは、「なんて彼女、かわいいんでしょう」と言い、他のカウンセラーは、「Kさん、そんなにつらいんだ…」とか、「カウンセリングのやり甲斐がありそう」とひそかに闘志をかきたてられるなんていう人もいた。  私だって「この人は不安なんだな」とか、「私がどんなやつか試してるんだな」とか、「私に理解してもらいたいんだな」と頭では、わかる。けれども、「自己中心的」「自己肥大感」「『何かしてもらって当然』という特権意識」をKさんから感じて、すぐさま踵を返したくなってしまい、知識とは無関係の“感情”が、むくむくと頭をもたげてしまうのだ。まさに絵に描いたような逆転移。  大勢の優秀なカウンセラーまでも一絡げにして、私と同列に語ることはできない。けれども、私個人についてのみ述べさせてもらうなら、逆転移の元は尽きることがない。 私が嫌いなクライアントたち?  ところで、“転移”も“逆転移”も、これまで述べたようなマイナスの側面ばかりではない。もちろんプラスの感情が引き起こされるケースもある。たとえば、恋愛擬似感情などがそうである。けれども、ここでは、あえて「嫌いなケース」に絞って話を進めていこう。  さて、私の経験から例を挙げてみる。  「嫌いな人」…まず、とうとうと自分の知識を述べ立て、周りがウンザリしているのに、まったく無頓着な自己中心型。次に、針小棒大にドラマを自演し、周りを巻き込んで忙しがり、自分の不運を嘆く悲劇のヒロイン。さらには、スタッフの前では恥ずかしがり屋で寡黙なのに、仲間内では自他共に認めるゴシップの女王。まだまだある…、自分の不始末や失敗を絶対に認めない完璧主義者。次から次へといくらでも口からでまかせのウソが出てくる“瞬間ウソ製造機”。自分のことを棚に上げて、他人の揚げ足とりをしてはスタッフへ言つけにくる芸能レポーター風な人。上目使いにこちらの様子をうかがいながら、べったりと甘えて、もたれかかってくる全てお任せ型な人など…。 「嫌い」の根底にあるものを見つめる  なぜ私は、こんなに嫌いなタイプが多いのだろう? 生まれ育った日本文化で鍛えられた謙虚さの美徳や、“静けさに宿る強さこそ真の強さ”とする価値観などが、クライアントをありのままに受容することを遠ざけているのだろうか? そう考え、早速スーパーバイザーへ相談を持ちかけた。  スーパービジョンの中では、こんなことを行う。   ◆私の育った家庭の価値観をチェック。 ◆結婚生活における私の言動をチェック。 ◆私がもつ「人間性そのものへの期待感」を、勝手にクライアントへ投影していないかをチェック。 ◆今までの職場や友人関係で、MさんやKさんのような人に悩まされてこなかったかをチェック。 ◆嫌悪感は「自分の羨ましさや劣等感の裏返し」ということもあるので、それもチェック。 ◆クライアントが持て余している「気分」を身代わりに引き受けていないかもチェック。  このことは、カウンセラーとしての訓練の過程において、また私自身のカウンセリング経験から、かなり自認してきているが、それでも常に盲点があることを認識しつつ、細かい点検を怠らないようにしている。  スーパーバイザーに、すぐに相談できない時は、同僚に聞いてもらう。ここはプロ同士、クライアントのゴシップにならぬよう、単なる愚痴にならぬよう、話の焦点を私の“心の反応”に絞り、私に思い込みがないか、クライアントの話の一部を無視していないか、もっと別な視点を持てないか…などを検討しあうのである。 逆転移メーターを0に戻すのがプロ  クライアントに対して起きた自分の嫌な気持ちを早く察知し、逆転移メーターの針をせめてゼロに戻し(スーパービジョンで何回もそれを経験してきた)、受容できるよう心を整えてカウンセリングを進めるうちに、いつしか会うのが楽しみになったクライアントも何人かいる。  日常レベルに流れやすい環境であるとはいえ、レジデンシャル・プログラムは、クライアントを多面的に観察し、立体的に理解できる可能性のある場である。だからこそ、逆転移も起きやすいのだろう。カウンセラーとしては危険に満ちた職場だけれど、腕を磨くチャンスもごろごろ転がっている。  青空色の家で働きながら、どんな場面であっても、どんなクライアントに接しても、彼女たちにとってプラスになるような介入ができるよう意識しつつ、自分自身を“触媒”として使い続けることは、私にとって得がたい人生修養の場であるに違いない。

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