少女Aと家族の物語

我が家は5人家族です主人 私 長女 長男 次男

fp26

長女が問題行動を起こしたのは 中学入学してまもなくの事でした ちょうどその頃 近くにある 私の実家でも 父が アルコホリックだと 診断され 母親代わりの 叔母も突然 脳腫瘍を宣言され 祖母は痴呆症になり 舅が事故で手に大怪我を負っていて 姑も入院と 今考えると 不幸の バーゲンセールのような状態でした。 私は両方の病院通いと仕事の為 ドンドン自宅にいる時間が少なくなり 毎日夫婦で夜遅く帰りそのまま倒れこんで眠るような生活。 彼女が 初めて家出をしたのも その頃でした私たちは 探しまくり 友人の家に張り込み あるいは 自転車をトラックに乗せ市外の先輩の部屋 娘の行きそうな所 は しらみつぶし 親戚一同 まるで 私立探偵のような 生活 が 始まりました。

  • 続きを見る
    • 家に連れ戻すと又 出て行く 又 追いかける力づくで連れ戻して、殴る蹴る 泣き落とす”誘拐させるょ助けて”と 泣わめき電信棒にしがみつく娘を 二人で抱えて 車に押し込む・・今考えるとどうしてあんなに パワーが 出たのか きっと 二人とも若かったんでしょうね 私たち夫婦は 中学の同級生 16歳で付き合って21歳で結婚。自分たち自身も子供で 親の管理下にありました。 親の会社で働き そこから給料をもらい 親の決めた 家に住み 自分の子供の事 も 親の言うがままでした 親で有りながら 実は私たちもまだ 子供をしていたのです この頃始めて父のアルコール依存の病院に 繋がり そこで始めて依存症と言う言葉を聞きました 母は 私が中学で亡くなりそれから お酒の量が 増えて言った父 長年の飲酒が 病気だと 知ったのもこの頃です。 結局 1年後に 叔母が大変な闘病生活の末亡くなり叔父がその知らせを父に 知らせに行くと そこに冷たくなった父親の姿がありました。 一人っきりの部屋で 飲み続けて 亡くなった父 警察が来るまで 私は怖くて怖くて 父の遺体に近づく事 が出来ませんでした 私は 同じ日に 二人の葬式を 行う事 に なりました。 混乱し疲れ果てたお通夜に 今度は シンナーでフラフラになった 娘の姿 が 有りました。 今考えると 私は台風の目の中に 居るようでした、次から次へおこる 色々な出来事 私はその一つ一つに対処するだけの生活。 次のことは何も考えられず 目先の問題に対処する為だけに 多くの時間とお金を 費やしていました。 そうなると息子たちの事も周りの事も 全く目に入らなくなりました。 長男も夜になると自宅に戻らなくなり学校で何度も問題を起こすようになりました。 未成年だった娘が覚せい剤を使っている事を始めて知った日 私は身体の力が抜けてしますような虚脱感に襲われました。 早速親族会議 が 行われ、次の日 私たち夫婦は皆の反対を押し切って 彼女を警察に突き出しました。 虞犯と素行不良 と 言う事で彼女は鑑別所に送られました 少年院に入って始めての面会日 私たち夫婦 は 彼女から罵声 を 浴びせられ、罵られました。 その時傍らに立っていた彼女の担当だった先生と、 この先何年かたって フリーダムのセミナーで お会いした事が 私たち夫婦 と 彼女にとっての始めてのハイヤパワーだと 思います。 彼女は少年院のなかで ダルクの本をよみ その先生から薬物依存が病気だと教えられました、そして 自助グループの存在もその時知ったようです。 1年後娘は生まれ変わったように真面目になって 自宅に帰ってきました この時の 私達夫婦の喜び 娘がやっと自分たちの思い描いた姿で 目の前に戻ってきたのです でも 実際自宅に戻った彼女は ほんの数週間で 元の生活にもどり薬に手をだしました。このことで 私も自分自身の自助グループに繋がりました、それからの数年間 本当に色々な事 が 有りました( 依存症の子供を持つ親なら 大体の想像もつくでしょうが) 最終的に一緒にいた友人が捕まり 彼女は最悪な精神状態で 家に戻ってきました その時初めて彼女を精神病院に入院させました。 次は彼女をあちらこちらのセミナーやフォーラムに連れ歩きました。 自助グループに繋がるように コントロールをし続けました 自分が良いと思うところ には どこへでも連れてゆきました でも結局何一つ 私の思いどうりには 進みませんでした 私もやっと仲間の提案を受け入れて 自分の事だけに 専念するよに なりました。 今私は自助グループと仲間に支えられています そして 彼女にとらわれる事無く (いいえ 彼女だけじゃなく 主人や他の子供もですが) 私以外の他の人にとらわれる事無く 自分の好きなように人生を過ごすようになれました。 以前の私は人の世話を焼く事が自分の務めだと思い込んでいた 立派なイネイブラーでした。 自分の存在価値を 認められなかったし 何でも 家族の為 身内の為  それを信じて疑わなかった 私が何をしても 守りたかったもは 一体なんだんだろう ・・ 私が子供の頃持てなかった 母子関係 姉妹みたいな母子 昔のアメリカ映画に出てくるよな家族 そのために 母鳥のように 必死で巣を抱え込んでいた・・ 今でも私は しょっちゅう 誰かの 世話を焼きたくなります。 他人の人生に口を挟みたくなるし 誰かをカウンセリングしたくなります そんな時は自助グループの本を読んだり 仲間にメールを入れたり  勿論ミーティングにも行きます。 今年彼女には新しい家族が出来ました 母親という立場も一緒です お互いの立場も対等 同じ女性どうしとして 色々 話せる そんな関係 には まだ 時間が掛かりそうですが 今日1日 お互いに平安で暮らせれば しあわせだと思います。 ありがとう ございました。

ご注意ください

この話は本人の了承を得て匿名または実名で掲載しておりますが、記事の内容に関するご質問などは回答をいたしかねます。 このコンテンツの著作権はFreedom・大阪ダルクに帰属し、一切の転用・転載を禁止いたします。


こちら記事もどうぞ