薬物依存症回復支援 — 薬物依存症は回復できる病です

「薬物依存と文化、ネイティブ・コミュニティーの試み1」


「人種の坩堝」と言われてきたアメリカの中でも、特に文化の多様性が大きいことで知られるサンフランシスコからのレポートという、この連載エッセーの特色を生かして、前回に引き続き「薬物と文化」をテーマに考えていきたいと思います。

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「東京ピザ」って何のことだかご存知ですか?
これは、去年うけていた「精神に作用する薬物」のクラスで紹介されたものです。その先生が昔日本で教鞭を取っていたときに、日本に住む外国から来た人たちがよく使っていた言葉だということでした。意味はというと、東京で深夜電車や地下鉄のホームで目にすることの多い、悪酔いした挙句の嘔吐物のことなんだそうです(食事中の方、失礼しました)。アメリカでは、吐くほどまでに酔うとなれば事態は深刻とみなされます。先生は日本に来て、それほどの酩酊を公共の場であまりに多くの人がしているということに、驚いたようです。その授業では、人種によってアルコールや薬物への反応が生物学的に異なるという研究結果について勉強していました。先生は、アジア人は白人よりもアルコールの耐性が低いということを説明するために、耐性が低いのに無理して飲むからそうなるのだと、説明してくれたわけです。クラスの生徒は「うわあ、気持ち悪い」などとつぶやいて眉をひそめますし、「東京ってクレージーな都市だね」などとあとになって言われたりして、腹立たしい気持ちになった記憶があります。日本で生まれて以来30年を過ごした私から見れば、「公共の場で吐くほど酔えるのは平和なしるしであり、酩酊したことを次の日に職場で笑って話しあえるというのも、ある意味で信頼しあっている人間関係のひとつのあらわれだ」くらいに言いたいところです。その文化・社会によって、「酔う」ということのとらえられかたはそれほどまでに違うのだと、改めて思わされた一件でした。


文化に根ざしたケアという姿勢は、薬物依存からの回復を含むこころのケアの分野で、最近、特にその重要性が指摘されているようです。医学でとりあつかう生物学的な問題とちがい、心の問題というのはきわめて文化的なものなので、医学の知識と同じように西洋心理学の理論をすべての文化にそのままあてはめることはできない、という、異文化間の交流から生まれた気付きが、その基本といえるでしょうか。それはちょっと考えただけで例がいくつでもみつかるほどです。さきほどあげた「東京ピザ」の例もそのひとつです。特に、アルコールを含めた精神に作用する薬物は、古くから多くの文化の中でさまざまに異なる重要な役割を担ってきたものであるため、薬物依存の問題を考えるときには文化という要素を考慮することが大切でしょう。逆にいえば、薬物が、文化が伝統的に持っていた意味や役割を失い、お金でやりとりされるようになったところから、深刻な薬物依存の問題が生まれてきているとも言えるかもしれません。

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    • さて、心に関するさまざまな問題について、文化・人種別に割合を見ていくようなとき、「アルコール依存・薬物依存」・そして「自殺率」という部分で、つねに上位(多くは一位)にあがってくる人種グループがあります。それは、「インディアン」などと呼ばれるアメリカの先住民、「ネイティブ・アメリカン」の人たちです。
      なぜアルコール依存や薬物依存という問題が、ネイティブの人たちの中にとりわけ多いのでしょう。いろいろな説明をする「専門家」がいますが、学者の説明にも文化への誤解や差別が色濃く表れていることがあります。冷静に見ればそれは、ネイティブ・アメリカンの人々が、この大陸で、あまりにも長いこと激しく深い傷をおいつづけてきたからだと、私には思われてなりません。
      日本では、アメリカン・ネイティブの人たちに対するアメリカ白人社会の差別と暴力は、歴史上の過去の出来事として語られることが多いような印象がありますが、実際は、彼らに対する差別と暴力はさまざまな形で現在も生々しく存在しつづけています。差別、貧困、幼いころからの身体的・性的虐待など、人々が受けている傷はあまりにも深く、その傷の片鱗にふれただけでも圧倒されるような気持ちになるほどです。
      アルコールや薬物は、絶望と自己否定の中で生きるための手段として最も簡単に手に入るものです。それが皮肉なことに逆に傷を大きくし、自殺率を上げる結果になってしまいます。自殺率の高さはまた、助けを求められる対象がアルコールや薬物以外にない場合が多いという、もう一つの重大な問題も示しています。この、助けを求められる器づくりという課題について、近年、ネイティブのコミュニティーの中から、自殺防止のためのプログラムや、アルコールや薬物依存からの回復をサポートする試みが行われるようになってきたようです。
      そのような背景の中で、以前の実習先から、ネイティブのコミュニティーの薬物依存治療施設へ、文化に根ざしたケアを勉強しにいく研修旅行が行われました。ネイティブ・アメリカンの文化に強く惹かれていたのと、「文化を大切にした心のケア」が私自身の専門であることもあって、私もそれに参加する幸運に恵まれました。2000年秋のことです。それはカナダのエドモントンという町にある、Nechiニチという名前のエージェンシーで、ネイティブの文化に根ざした依存回復のケアを行っているとのことでした。
      そこでトレイナーをしているハロルドというカウンセラーの方が、私の実習先だったエージェンシーのセラピスト、Sさんの古い友達だったので、普通の「外部者」ではなかなか体験できないようなすばらしいトレーニングを体験させていただくことができました。
      ニチのもっとも個性的な点は、さまざまなプログラムを含めた施設全体が、彼ら自身の文化にのっとって運営されていることです。それは非常に細かいところにまで行き渡っています。建物の構造から始まり、入院している人の食事の内容や一日の過ごし方、ミーティングの運営方法、メンバー同士、スタッフ間、およびメンバーとスタッフ間の人間関係の形、建物の中のあちこちに配置されているさまざまなオブジェや絵画にいたるまで、すべてに彼らの伝統文化が活かされています。
      ここでの薬物・アルコール依存からの回復をサポートする方法が、文化にのっとった形に工夫されていることの例は、施設の中でほぼ毎日開かれているAA・NAミーティングのやりかたにもよく表れていると思います。AA・NAとは言っても、そこではキリスト教的な匂いは一切しません。あんまり雰囲気が違うので、初めそれがAA・NAだと気付かなかったくらいです。ミーティングの基本となっているのはすべて、ネイティブの伝統的なスピリチュアリティーであり、人間関係と世界観です。グループのリーダーは常に決まった「エルダー・長老」といわれる年長者が受け持ち、会の初めと終りに祈りの言葉をささげます。「グレートスピリット」への祈りの言葉があり、先祖に向けた感謝と祈りの言葉があり、家族へのいたわりや愛情がシェアリングを通して語られます。リーダーは、長老として一般のAAよりもずっと大きな役割を担っており、シェアリングの合間にメンバーに問いかけてみたり、自分の体験を語ったり、メンバーに励ましの言葉をかけたりします。AA・NAをご存知の方は、この形態がいかに普通のAA・NAと異なるかわかっていただけるでしょう。AA・NAが誰でも受け入れ誰にでもオープンな無名者のあつまりであるとすれば、ここでのグループは、一人一人がお互いを知り、お互いを支え合おうとしている、伝統的なコミュニティーの形を維持しようとしているサポートグループといえるかもしれません。人間同士にある程度の距離を作りお互いが無名でいることがメンバーを安心させるということがAAの基本にあるのだと思いますが、それはおそらく西洋現代社会の文化が生んだグループだからなのでしょう。ネイティブの文化では逆に、密接な人間関係が力強い支え合いを生み出す基本のようです。ネイティブの人たちのなかでお互いをサポートしあうグループを作るには、あのような工夫が大きな力になるのでしょう。
      次回は、ニチでの研修の様子と、そこで行われているプログラムについて、詳しくお伝えします。

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