薬物依存症回復支援 — 薬物依存症は回復できる病です

処方薬幻想


はじめに

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「薬物乱用」の定義は文献により言い表し方が微妙に異なっているが、少なくとも次の2項目のうち、1つに当てはまれば、「薬物乱用」と呼んで差し支えないと私は思う。

  1. 法律で規制されている薬物を非合法に使用すること。
  2. 気分が変わる薬物を、定められた用量を大幅に超えて服用すること。

2の気分が変わる薬物の中には、精神神経科の医師によって処方される向精神薬が含まれている。様々な精神症状に対して、どのように個々の向精神薬が作用し効果を発揮するかはともかく、人がクスリという物に対して膨らんだ期待を寄せるのも事実だろう。
このレポートの目的は、精神科で「薬物依存症」と診断された患者の一人として、精神に作用する処方薬に対し、どのような思惑を抱き、その結果どのような新たな症状が自分の中に形成されていったかを振り返ることにある。

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    • あなたには処方薬を出さない

      私がはじめて精神神経科を受診したのは、21歳の時だった。14歳のときから吸い続けていたシンナーの依存症で大学の付属病院の精神科病院に入院することになったのだった。シンナーの他にも町の薬局で当時は感単に買えたピリン系の鎮痛剤(オプタリドン、ハイグレラン、トランコパール等)の乱用、依存もかなり深刻な状態だった。主治医に鎮痛剤乱用のことも話したからだろう。入院したその日に「あなたには精神安定剤や睡眠薬は出さないから」ときっぱりと言い渡された。はじめての精神科病院での入院生活を無投薬で過ごすことになった訳だが、慣れないせいか病棟の雰囲気は無気味にしか感じられず、一刻も早くここを脱け出さなくてはという思いが募るばかりだった。しかし、1週間も過ぎるころには病棟の雰囲気にも慣れ、住めば都とやらで、妄想めいた考えも徐々に頭の隅に追いやられていった。一番つらかったのは、消灯時間が午後9時という早い時間であること。他の患者たちは午後8時には眠前薬を飲まされ、消灯の頃にはすでに大イビキをかきながら眠りについている人もいるのに、私の頭は逆にさえ渡るばかりで、本を読む灯火さえない暗闇の中、仕方なしにナレーターが単調な夜汽車の音をバックに羊を999匹まで数える睡眠用のテープをウォークマンで聞いたり、ベッドの上で座禅を組んだり、ヨガのポーズをとったりして気を紛らわすしかなかった。それでも深夜の0時過ぎには、ベッドの上での過剰なストレッチが功を奏したのか、自然と眠りにつくことができた。

      最初の一錠はそれだけで多すぎ千錠飲んでも足りない

      その日の夜勤の看護師は、かなり年配の人で私が見たのは後にも先にもその夜だけだった。消灯前からシャックリが止まらないせいで0時を過ぎても眠れずにいる私に、その看護師さんはコップ一杯の水と一錠の小判型の白い錠剤を持ってきた。私の手のひらの上でベンザリン(睡眠剤)はダイヤモンドのように輝き、私はためらうことなく飲み込んだ。これで眠れるようになるかならないかはどうでもいいことだった。(そんなにすぐ眠ってしまってはこのクスリの効き目をゆっくり味わえなくなるわ!)ベンザリンを一錠飲むことができただけで、私の中に潜んでいる「薬物依存」という魔物は小躍りして喜んだのだった。実は入院してからずーっと私は睡眠剤や精神安定剤を飲んでみたくて仕方がなかったのだ。

      精神科はクスリ屋さん

      退院して外来に通うようになってからも、私にはあの晩の一度飲んだきりのベンザリンの味が忘れられなかった。チャンスはすぐにやってきた。病院の都合で主治医が変わったのだ。診察室で私は、毎晩2~3時間しか眠れなくてイライラしている。シンナーへの欲求が出てきて困っていると訴えた。実際には睡眠は十分とれていたし、イライラしているのは向精神薬が欲しくてそれにとらわれているからだった。新しい主治医は、あっさりと精神安定剤と睡眠剤を処方してくれた。夢にまで見たベンザリンではなかったが、もっと強烈な赤い玉の睡眠剤ベゲタミンAだった。
      当時私は写真専門学校の学生だったが、ある日教室での授業中、トイレに駆け込んでベゲタミンAを数錠飲み、気がついたら職員室のソファに寝かされており、神戸から両親が車で迎えに来ていてそのまま精神科の病院に連れていかれ注射を打たれたことがあった。
      授業中から、ソファで目覚めるまでの記憶は全くないのだが、どうも学校の外の通りをフラフラと靴も脱いで彷徨しているところを、保護されたらしい。このように常用量の何倍もの処方薬の乱用を私はその後8年間もの間断続的に繰り返すことになる。

      乱用と常用量依存

      シンナー系の薬物への依存の陰にかくれてはいたものの、私はまぎれもなく処方薬依存症でもあった。それが浮き彫りとなって姿を現したのは、シンナーをやめた27歳以降の2年間のことだった。10錠~30錠の精神安定剤や睡眠薬を一気に飲んで、前後不覚に陥りそのまま丸一日以上も眠り込んでしまい、目が覚めて失禁に気づくことも時々あった。このように大量の処方薬の乱用を断続的に繰り返す一方で、日常的には、常用量の処方薬をコントロールしながら飲む鬱々とした日々が連綿と続いているのである。大量に処方薬を服用して自らコントロール喪失を呈する症状が処方薬依存の表の顔なら、処方薬依存の裏の顔は、常用量をコントロールして飲みながらも、(このクスリを飲まなければイライラし出すだろう)(睡眠薬をきちんと飲まなければ眠れない)(これから人と会うのだからその前に精神安定剤を飲んでおかなければ)といった不安の先取りを処方薬に転嫁して、理由付けをすることだ。私が処方薬を完全に断とうと決心した時、最後に目の前に立ちふさがったのは、乱用がやめられないことではなく、むしろ強迫的な常用量依存であった。病院スタッフはわかっていなかったもしれないが、常用量依存から解放されない限り、大量の乱用も止まらないことに私はうすうす気づいていた。コントロールできないものをコントロールしようとしたあとには、決壊したダムのようなコントロール喪失が待ち構えている。パターンである。

      処方薬依存で入院

      外来の診察室で私は涙声で主治医に訴えていた。「先生はなぜ、私が乱用すると知りながら睡眠薬や精神安定剤を処方するのですか」主治医からは次のような答えが返ってきた。「あなたがシンナーを乱用するよりはましだからですよ」
      29歳―処方薬の乱用でにっちもさっちも行かなくなった私は、また精神科病院に入院した。4度目の入院だった。以前の3回の入院はシンナー依存症だったが、今度はシンナーの使用は一度もなく、純粋に「処方薬依存」だけでの入院だった。薬物の種類を変えても結局精神病院に舞い戻ってくるのは、薬物に依存性があるだけではなく、私に依存性があるからではないか。
      入院する際の診察で私は、10錠ほどの睡眠薬のシートを医者に渡し、処方薬を切る決心を伝えた。しかし、手荷物を入れた鞄の底敷きの下に私は詰め替え用のナツメグ(スパイスの一つでスーパーなどで売っているやつ)のシートを一ダース分隠していた。それを看護師さんに見つからないように、インスタントココアの中に一袋16グラム分を全部混ぜ入れ、一気に飲み干すのだ。胃がむかついて気分も悪くなるが、体中がほてって発熱した時のようにボーっとした感覚が続く。気分を変えるものが何も無くなる事くらい不安なことはないのだ。入院して1ヶ月も経たないうちに、私は不眠やイライラを訴え、睡眠薬や精神安定剤の再投薬がはじまった。何の目的で入院したのかと自分に問いかける間もなく、自分の飲みたい種類の睡眠薬をどうやって主治医に出させるか企んでは、「おいしい処方薬」をゲットしていた。医者をだますのは、患者にとってはそんなに難しいことではない。

      最後の1錠

      病院を退院したら私は依存症のリハビリテーション施設に通うつもりで、外出許可をとって施設をたずねた。ピア・カウンセラーの職員に「あなたは、マイナートランキライザーの依存をもっているのだから、それを全部切らないとうちの施設にきてもよくなりませんよ」と指摘された。私は主治医に、睡眠薬も精神安定剤も全部やめる決心であることを告げ、その日の晩から減薬が始まった。4錠が3錠になり、3錠が2錠に減り、そして最後の1錠。最初の1錠は、ダイヤモンドのように輝いていたが、最後の1錠は鉛のように重かった。(睡眠薬なしで眠れるだろうか)(いらいらしてももう安定剤もらえないんだ)と考えると不安で不安で仕方がない。夜、消灯時間も一時間ほどすぎ、病棟の窓際の私のベッドのシーツの上に見慣れた鉄格子の影が揺れる頃、もう処方薬は使えないんだと言う喪失感で一杯になり涙があふれ出てきた。

      医原病としての処方薬依存

      最後の1錠を切る決心から、私は薬物依存からの回復の第一歩を踏み出したと言えるだろう。もちろん、薬物依存者の中には、薬物を使う前からもともとうつ病や統合失調症、などの精神疾患を持っていたり、覚せい剤やシンナーなどの薬物を使い続けてきた結果、後遺症として精神疾患になり、二重診断(Dual Diagnosis)を受けている人がかなりいる。
      これらの人々にとって、精神科で処方される薬は必要不可欠であることは、言うまでもない。が、処方薬の乱用や常用量依存の問題は、Dual Diagnosisの人たちにもしばしば起きる。突出した精神症状を抑えるためには、精神薬は不可欠なのだが、症状が消えたあとも一番ひどい時に出された処方のままという人も多い。
      病院側の保険点数稼ぎなのか、医師の怠慢なのか、患者側の常用量依存なのか、あるいはこれらの条件が重なり合ってなのか、なかなか判断に苦しむが、私も経験したように処方薬依存はれっきとした医原性の病気である。残念なのは、処方薬依存についてきちんと理解をし、問題意識を持ち、対応しようとしている精神科病院がほとんど見受けられないことである。投薬を与える側も受ける側も、非合法薬物の使用でもなく、乱用でもない、常用量の処方薬を飲むことについて、疑問を差し挟むことがほとんどない。気が付いたら「治療薬」が「依存薬」に、患者の中で変わっていたとしても、(医師が処方したのだから)(治療に必要なのだから)という言い訳がすぐに成り立ってしまうから、なかなかやめられない。個人レベルでの否認(依存していることを認めないこと)を超えて、医療システムが否認を支えているとも言える。

      看護師さんからの贈り物

      私が入院していた精神科病棟では、投薬の時間になると看護師さんが、患者の数だけのマスで仕切った木製の投薬箱をワゴンに載せてくる。それぞれのマスの上には患者の名札が貼ってあり、マスのなかに処方薬が入っているのだ。処方薬がゼロとなったその日から、私の名札の貼ってあるマスの中には薬の代わりに、ボール紙に赤いサインペンで書かれた2センチ四方くらいの小さなカードが、差し入れてあった。退院する日、一人の看護師さんが「はい、これ」と言って微笑みながら投薬箱のカードを手渡してくれた。退院してから何年も、カードを時々机の引き出しから取り出しては、お守りのように手の平に載せて眺めることが時々あった。その小さなカードには赤いサインペンで「一時中止」と書かれていた。

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