依存症の支援には、「おっせかい」は禁物と言われるけれど…

保健師になって、12年目。精神の相談を担当するようになって6年たちました。

fp7

保健所には、多種多様な方が相談に来られます。30年ひきこもっている人、息子がひきこもって数年、母も高齢で仕事がなく生活苦になった人、夫のアルコール問題で借金を抱えている人、市販の睡眠薬に依存し子育てできなくなった人、薬物依存で家族に暴力をふるう人、等々。ひとつの家族にひとつの問題ではなく、いくつもの問題が重なり合って現在に至っている人がほとんどです。いろんな相談機関を通過して、ようやく保健所にたどりついた人が多いので、なんとか保健所でできる事はしたい、と思って関わりを持ってきました。離散した家族の調整をしたり、生活苦や借金の相談にのったり、医療が必要な人には医療につなげたり…とめまぐるしく走り回っています。その中でも、膨大な時間を費やし、目に見えて効果(?)があがりにくいのが、依存症の方やご家族への相談支援です。

うまくいかず福祉関係の先輩に相談すると、「まだ底つきをしていないからしょうがない。」「依存症の人だからヘルパーは必要ない。」「依存するのが病気なんだから、底つきするまで放っておいた方が良い。」というアドバイスがほとんどでした。私の中では、そのアドバイスがしっくり受け止められず、結局、迷いながらも自分が納得するように関わりを持ってきました。支援の途中でうまくいかないような事件が起こると「ほらほら、やっぱり保健師さんはすぐ火の中に飛び込むから。」と非難めいた言葉で評価され、落ち込んだり自身喪失になったりの日々でした。そんな中、保健師の先輩の助言は全く違っていて、「まず関わって自分の目で確かめることが大切。」「依存症をみるのではなく、その人を理解することが大切だよ。」「お世話しすぎて、失敗することは少ないから大丈夫。」「子育てと同じで人間は依存しながら自立するものだから、最初からつきはなしたらあかんよ。」という言葉でした。私には、そのアドバイスがすーっと入って、「今までの自分の関わり方は“やりすぎ”ではなかったんだ。」「いやいや別にやり過ぎてもいいやん。足りないよりはまし。その人との関係を大切にした結果だし、きっとプラスになってる!」と思えるようになってきました。
  • 続きを見る
    • 様々な依存症の相談に来られる方に、最初から離れた立場で、あーだこーだと言葉だけで対応するのではなく、一緒に病院に受診したり、回復している方々との出会いを作ったり、一緒にミーティングに参加したりすることが、とても大切なことのように思えます。一緒に、当事者の方やご家族の方と行動する中から、その方達がつまづいている問題が徐々に見えてきたり、依存症の辛さを共感し一緒に涙ぐんだり、時には憤りを感じたりすることもありました。でも、信頼関係ができると「私は今、あなたのその事ですごく腹を立てているよ。」とはっきり言える関係になってきます。 依存症の方達やご家族の方達が、抱えている問題を一緒に悩んだり考えたり、試行錯誤しながら、暗くて長いトンネルの向こうに一筋の光を求めていく作業が、私は好きです。そんな体験の中から、多くのことを学ばせていただいていると感謝しています。 これから先も、ひとりひとりの相談者の声を大切にできる保健師をめざしていきたいと思っています。それには、私の“売り”である、「おせっかい保健師」を返上するわけにはいかないなあ…と勝手に思っている今日この頃です。

ご注意ください

この話は本人の了承を得て匿名または実名で掲載しておりますが、記事の内容に関するご質問などは回答をいたしかねます。 このコンテンツの著作権はFreedom・大阪ダルクに帰属し、一切の転用・転載を禁止いたします。


こちら記事もどうぞ